脚光を浴び損ねた者

 ナポレオン漫画最新号だが、活躍の場を奪われた不幸な人々が大量発生している。史実通りならもっと目立ってもいいはずなのにあっさり省略された人間が数え上げると何人も。フィクションではテンポよく描くために冗長な部分を削るのはよくある手なんだが、史実を題材にするとその結果として「俺の出番がああ」「見せ場がああああ」となる人が出てきてしまう訳だ。フィクションだけを読んでいたらそうした背景は分からないが、史実と比べればそのへんが見えてくる。これもフィクションを史実と比べる楽しみ方の一種だろう。
 今月号で「不幸」の代表とでも言うべき人物はもちろんミュラ。アブキールの陸戦"http://www.napoleon1er.org/galerie/displayimage.php?album=9&pos=0"は彼の率いる騎兵部隊が大活躍したんだが、漫画では「がっ、がんばります」と言った後でシーンが替わり、再び場面がアブキールに戻ってきた際には既に戦闘は終了。ミュラまじ涙目な展開である。
 史実のミュラがこの戦いでかなりの活躍を見せたのは間違いない。何しろ会戦の2日後、共和国暦7年熱月9日(1799年7月27日)にボナパルトがわざわざ以下のような布告を出しているくらいだ。
 
「司令官は、アブキールの戦いで栄光に包まれたミュラ将軍率いる騎兵旅団に対する満足の意を表すため、砲兵指揮官に対し、ロンドンの宮廷からコンスタンティノープルに贈られ、会戦の際に奪った戦役用の英国製大砲2門を、この[騎兵]旅団に与えるよう命じる。
 全大砲にこの旅団を構成する3つの連隊、即ち第7ユサール、第3及び第14竜騎兵の名と、同様にミュラ将軍及び参謀副官ロワズの名を彫り込むこと」
Correspondance de Napoléon Ier, Tome Cinquième."http://books.google.com/books?id=iFQUAAAAQAAJ" p541
 
 翌熱月10日(7月28日)に総裁政府宛に書かれた報告書の中でも、ボナパルトは「共和国の栄光に大きな影響を及ぼすであろうこの戦いの勝利は、その多くをミュラ将軍に負っていました。私はこの将軍に師団長général de divisionの地位を与えるよう要請します。彼の騎兵旅団は不可能事を成し遂げました」(Correspondance de Napoléon Ier, Tome Cinquième. p542)とミュラを褒め称えている。出世競争でランヌに先を越されたミュラだが、この活躍で追いつくのに成功している。
 ちなみに公式報告を見る限り、この戦闘でミュラがオスマン軍の司令官であるムスタファ=パシャを捕らえたという話は紹介されていない。この話を伝えているのは、むしろ他の戦闘参加者たちのようだ。中でもおそらく最も古いのは絵描きのドゥノンが記した回想録で、Voyage dans le Basse et la Haute Égypte, Tome Troisième."http://books.google.com/books?id=gS0PAAAAYAAJ"のp190には「左腕に負傷し、部下が完全に壊走しているのを見た彼[ムスタファ]は、それを引き起こした者[ミュラ]に駆け寄り、ピストルを撃ってミュラ将軍を負傷させた」とある。
 他にもフランソワ大尉が「ミュラが彼[ムスタファ]に降伏を命じたまさにその時、彼はピストルを撃ち、[ミュラの]下顎に弾丸が命中したが軽傷ですんだ。ミュラ将軍はサーベルの一撃で[ムスタファ=パシャの]右手の指を2本切り落とし、第14竜騎兵連隊の2人の兵士に彼を捕らえさせた」(Paul Strathern "Napoleon in Egypt" p395)と書き残しているそうだ。ヴィゴ=ルシヨンはムスタファ=パシャの捕縛を自らの功績と主張しているようだが、一般的にミュラがやったと見なされているのにはこうした目撃談が実在するからだろう。
 ミュラはこの怪我について「パリのご婦人方よご心配めされるな、私の唇は無事だったゆえ」と話した、と言われている。事実かどうかはともかく、彼にとっては自慢すべき挿話だったんだろう。でも、漫画ではあっさり無視。ミュラをあくまで三枚目にしておこうという作者の陰謀だろうか。
 
 アブキールの戦いを省略したために出番を奪われたのはミュラだけではない。ボナパルトの報告には以下のようなフレーズもある。「嚮導隊の先頭に立ったベシエール大佐は、この部隊の評価を高めた。(中略)ジュノー将軍の衣服は弾丸で穴だらけになった」(Correspondance de Napoléon Ier, Tome Cinquième. p542-543)。このうちジュノーははっきり言ってミュラ以上に三枚目の扱いなのでこうなるのも想定通り。ベシエールは彼らのとばっちりを食らった格好かな。
 連合軍側ではシドニー・スミスはきちんと出番を確保したものの、オスマン軍の司令官ムスタファ=パシャ"http://www.bridgemanartondemand.com/art/74355/Said_Mustapha_Pasha_Wounded_at_the_Battle_of_Aboukir_from_Volume"は名前も姿もなし。捕まったことすら漫画の中では描写されることがなかった。まあこの戦い以外にはほとんど目立たない人物だからフィクション的には無視しても何の影響もないのは確か。ミュラの活躍シーンが奪われてしまえば名前を出す意味すらなくなってしまうのも仕方なかろう。
 逆に大したことはしていないのに異様に目立っているのがダヴー。彼は、少なくとも7月25日の会戦当日にはほとんど何もしなかった。ボナパルトの総裁政府への報告にも彼の名は全く登場しない。後にベルティエが書いたエジプト戦役に関する本によれば、「ダヴー准将は騎兵2個大隊及び100騎のラクダ隊と伴にアレクサンドリアと軍の間に布陣するよう命じられた」(Relation des campagnes du Général Bonaparte en Égypte et en Syrie"http://www.archive.org/details/relationdescampa00bertuoft" p165)とある。会戦当日にボナパルトがダヴーに出した命令によると「アラブ人の動向を伝え、アレクサンドリアと軍の連絡線を維持する」(Correspondance de Napoléon Ier, Tome Cinquième. p536)のが彼の役割だった。
 このポジションからはアブキールの戦闘がどんなものだったかについて、見物することすら難しかった可能性がある。漫画のラストシーンでダヴーが「俺は見た」と言っていること自体、どうやらマジックだと考えた方が安全だろう。ただ、会戦後に行われたアブキール要塞攻囲戦にはダヴーは参加している。
 
 長くなったので以下次回。
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