ナポレオン漫画最新号はしばらく出てなかったダヴーの顔見世と、ルスタム・レザ登場の巻。平たく言ってつなぎの回だ。次あたりにはまたアブキールに備えてシドニー・スミスが再登場してくると見た。で、アブキールが終わればエジプト遠征も終幕。本当は終幕でも何でもなく、ボナパルトがフランスへ引き上げた2年後の1801年までエジプト遠征は続いていたんだが、そこまで描かれる可能性はほぼ皆無。クレベールもお役目ご苦労さんてとこだろう。
で、せっかくのカラーページは相変わらずのおっさん祭り。というか今回こっきりの怪しげな僧侶(実際は新興宗教の教祖モドキとでも言った方が合っている)が真っ先に出てくるあたり、まさにカラーの無駄遣いだ。いいぞもっとやれ。そしてカラーページ終了後も男のM字開脚とか一体だれが喜ぶんだといいたくなるような(もしかしたら腐女子が喜ぶのか)シーンが続く。まあこの漫画はこれが売り物だから、好きなようにやってほしい。ばかばかしさの追求もフィクションならありだ。
という訳でいつものように史実との比較を。冒頭に出てきた胡散臭いおっさんは、漫画では「僧マーメッド」と紹介されているが、フランス軍側の史料を見る限り僧侶かどうかもよく分からんヤツである。セント=ヘレナでナポレオンはこの男について「デルナ[リビア]の砂漠出身のこの男は、彼の部族のアラブ人たちの間で神聖な存在として高い評価を得てそのリーダーとなり、他の者を勧誘するため、自らを預言者[ムハンマド]がコーランで約束した天使エルモディであると名乗った」(Mémoires pour servir à l'histoire de France, sous Napoléon, Tome Deuxième"
http://books.google.com/books?id=LnBIAAAAYAAJ" p257)と話しており、僧侶であるとは述べていない。
ナポレオンはエルモディElmodyとしているが、実際はエル=マフディEl-Mahdyと名乗っていたようだ。イスラム教には詳しくないのだが、マフディというのは要するに将来現れる救世主のことらしい"
http://en.wikipedia.org/wiki/Mahdi"。この手の詐欺師が名乗るものとしては割とよくあるパターンだろう。フランス人はエル=マフディの前に天使angeと付けている。「天の使い」が漫画では「預言者の使い」になったのかもしれない。
漫画ではこの男の言葉として「私が睨みつければフランス軍は土塊と化し」「吐息で空中の砲弾・弾丸は停止し」「手に触れる全ては金に変わろう」というものが紹介されているが、驚いたことにこれらはいずれも史料に残されている言葉だ。一体どんな史料かというとLa Jonquièreの記したLa Expédition d'Égypte, Tome V"
http://books.google.com/books?id=3AoIuX_6_CgC"。そう、今まで重要史料ながら中身を見ることができなかったあの本が、一部ではあるが読めるようになったのだ。これは素晴らしい。残念ながら読めるのは全5巻のうち1、3、5巻の3巻分だけ"
http://books.google.com/books?q=editions:ISBN1421245043"だが、それでも大いなる進歩といえる。
ボナパルトのシリア遠征中、カイロの司令官を務めていたデュガ将軍は、この自称マフディの反乱について花月11日(4月30日)付のボナパルト宛報告書の中で以下のように述べている。
「バーバリ地方の詐欺師が(中略)マリウーに居住するアラブ部族のところへ現れました。彼は自ら手を置いたあらゆる場所から黄金を得、彼に向かって撃たれた弾丸と砲弾を柔らかくし、爆弾を空中に止める秘密を知っていると嘘を述べました。おそらく最初の銃撃でこの奇跡なるものの支持者たちは迷妄から解放されることでしょう」
p72-73
デュガがどうやってこの情報を得たのかは不明だが、現地で自称マフディの軍と戦ったフランス軍がいるので、彼らの生き残りから情報を得ることができただろうし、またイスラム教徒との間にあったパイプからも情報は入っただろう。内容が正確かどうかは保証の限りではないが、史料にある話を使っていることは間違いない。
もう一つの「フランス軍が土塊と化す」話も史料がある。こちらはJonquièreにも載っているのだが、そもそもの元ネタはNakoula El-TurkのHistoire de l'expédition des Français en Égypte"
http://books.google.com/books?id=i0E-AAAAcAAJ"。そう、これまた今までなかなか原文が発見できなかったニコラス・テュルクの本(の仏訳)である。何だかエジプト遠征も終幕が近づいてきたところで、急に史料が見つかるようになったな。ともあれ、テュルクは以下のように述べている。
「この男は自ら預言者であると主張し、視線を投げかけるだけで不信心者を風に吹かれた砂のように消し去ることができると言った。しかし現実は逆だった。フランス兵が彼の兵に死の一撃を与えた。反徒たちは雲散霧消し、フランス兵は帰営してゆっくり休むことができた」
p134
漫画の自称マフディの言葉に関する描写は比較的正確だが、その鎮圧風景は決して史実通りではない。まず鎮圧に当たったのはダヴーではなく、ラニュス将軍"
http://fr.wikipedia.org/wiki/Fran%C3%A7ois_Lanusse"。ボナパルトが収穫月1日(6月19日)に総裁政府宛で記した報告書には、この反乱について結構詳しい紹介が載っている。そこでは、漫画には記されていないが、自称マフディの唱えた「奇跡」について「この詐欺師は天から砂漠の真ん中に降りてきたと主張した。(中略)毎日、彼は指をミルク入りのボウルに浸し、それで唇をなぞった。彼が摂った食事はそれだけだった」(Correspondence de Napoléon I, Tome Cinquième."
http://books.google.com/books?id=YIDRAAAAMAAJ" p462)と述べている。
自称マフディの最初の攻撃目標になったのはダマンフールにいた船員部隊。ボナパルトはその数を「60人」(p462)としているが、デュガ将軍の牧草月25日(6月13日)付報告には「117人の船員部隊派遣隊」(La Expédition d'Égypte, Tome V, p114)と記されている。反乱が起きた時にボナパルトはシリアにいたのだから、彼の情報源はエジプトに残っていた将軍たちだろう。つまり、彼は部下が送ってきた数字を改竄したうえで総裁政府に報告しようとした訳だ。さすが「公報のように」嘘をついてきた男だけのことはある。
自称マフディはさらに信者たちに向かって「フランス軍の砲に一掴みの砂を投げれば火薬に点火しなくなり、さらにマスケット銃の弾丸も真の信仰者の前で地面に落ちる」(Correspondence de Napoléon I, Tome Cinquième. p462)といった話をしたらしい。信者の数は増え、ルフェーブル大佐が率いてダマンフールへ向かった400人の鎮圧部隊もその数に圧倒されて退却を余儀なくされた。
花月19日(5月8日)、ラニュス将軍がさらなる増援を率いてルフェーブル大佐と合流。ルフェーブルが花月21日(5月10日)付でデュガ将軍に記した報告によれば、フランス軍の数は兵700人、大砲5門に膨らんだという(La Expédition d'Égypte, Tome V, p88)。フランス軍はそのまま花月20日、再度ダマンフールに攻め込んだ。ボナパルトによれば「1500人が刃にかかり、ダマンフールは灰の山と化した」(Correspondence de Napoléon I, Tome Cinquième. p462)という。
ただし、これまた数字はあまり正確とは言えない。もともとラニュスが花月21日付で記したデュガへの報告では「1200人から1500人の住人が焼かれるか撃たれた」(La Expédition d'Égypte, Tome V, p87)となっている。もっともこの数字の小さい方を捨てて大きい方に寄せてしまったのはボナパルトではなくデュガ(p114)。彼もボナパルトの薫陶よろしきを得て「敵の損害は大きめに報告する」原則に従ったのかもしれない。
自称マフディは逃げ出したようだ。ボナパルトは総裁政府に対して「いくつもの怪我を負った天使エル=マフディは、自らの熱狂が冷めるのを感じた。彼は砂漠に隠れたが、なお支持者に囲まれていた」(Correspondence de Napoléon I, Tome Cinquième. p462)と書いている。少なくとも漫画にあるように殺されてはいないようだ。ただ、後にセント=ヘレナのナポレオンは、倒された1500人の中に「天使エルモディ自身も発見された」(Mémoires pour servir à l'histoire de France, sous Napoléon, Tome Deuxième, p259)としているので、漫画の方も史料の裏づけなしに描かれたとまでは言えない。というか過去に言ったことと歩調を合わせなきゃダメだろ、皇帝陛下。
自称マフディを鎮圧したのがラニュスだとしたら、ダヴーは何をしていたのか。長くなったのでそのあたりを含めた話は次回以降に。
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