イタリア1792-95 その1

 1799年のロンドンガゼット翻訳が一段落したので、ナポレオンがセント=ヘレナで語った1792年から95年までのイタリア戦役の話を日本語訳して載せる。ボナパルトの遠征が始まる前の、あまり知られていない時期だが、ナポレオンは結構詳しく話している。
 フランス語の原文はMémoires pour servir à l'histoire de France, Tome Troisième."http://books.google.com/books?id=p1KZo31OntMC"のp56以下にある。英訳はMemoirs of the history of France during the reign of Napoleon, Vol. III."http://books.google.com/books?id=FAgBAAAAYAAJ"のp17以下。まずは1792年分を。
 

 第二章
 イタリア方面軍の軍事作戦の要約。
 1792、1793、1794及び1795年。
 I.
 第一次対仏大同盟戦争は1792年に始まった。南方軍を指揮するモンテスキュー将軍はジュネーブからアンティーブまでの全国境の守備を委ねられた。戦役は9月に始まった。彼はセシウーの野営地からイゼールへ、そしてバロー要塞へ行軍した。そして数週間のうちにシャンベリーとサヴォワ全体を占拠した。ピエモンテ軍はアルプスの彼方へ退却した。1万人の師団を率いるアンセルム中将は、ダルジェンティエール峠近くのトゥルヌーの野営地からアンティーブまでのヴァール防衛を命じられた。トリュゲ提督は兵2000人を運ぶ戦艦9隻と伴にアンティーブとモナコの間を遊弋していた。ヴァールの防衛線は適当なものではなかった。フランス軍騎兵がその背後を脅かしていたため、トリノの宮廷はその軍に対してマリティーム・アルプスの背後、右翼をヴァール川とその支流に、中央をレントスカに、そして左翼をサオルジオ前面のロヤに置いた防衛線を敷くよう命じた。9月23日、フランス軍の提督からニース沖合に艦戦隊を投錨したところ敵がそこを撤収することを決断したことを、そしてピエモンテ軍が移動をはじめたことを知ったアンセルム将軍は、4000人の部隊の先頭に立ってヴァールを渡り、何の抵抗も受けることなくニース、モンタルバーノ要塞、そしてヴィラ=フランカを確保した。うち後二者は完全な防衛態勢にあり、素晴らしい大砲を備えていた。守備隊は捕虜となった。アンセルムはヴァールを渡渉した。翌日、水かさが増し、彼は軍の残りと引き離されたままニースに8日から10日とどまった。敵はこの状況を知らなかったか、あるいはそれをどう利用すればいいか分からなかった。アンセルムは前衛部隊をトリノ街道のラスカレーナまで押し出した。艦戦隊はサルディニア王に属しているオネリアの港へ前進した。提督は指揮官に降伏を要求したが、休戦の旗を持った者は処刑された。兵が上陸し、市を確保した。アンセルム将軍は彼らの行き過ぎた行為を妨げることができなかった。それどころか彼はニース市から混乱に加わったと告発されたほどだった。そしてそのために召還された。
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