祖国は危機にあり(La patrie en danger) 関連blog
パリのビストロ
2010
/
08
/
06
ナポレオニック
フランス語で食堂を意味するビストロ(bistro)という言葉は最近、日本でもよく見かける。すると当然の如く、「ビストロというのは元はロシア語だ」という俗説も出回ってくる。ネット上で「ビストロ ロシア」とか「ビストロ コサック」で検索すれば、この俗説を紹介した話が簡単に発見できるだろう。
この俗説はAlbert A. NofiのThe Waterloo Campaign"
http://books.google.com/books?id=ZPFtsn-nRTwC
"でも紹介されていたが、以下のようなものだ。1814年、ナポレオンは敗北し連合軍がパリへ入城した。彼らはしばらくパリにとどまり、当然そこでメシを食う機会もあった。その時、ロシア兵が「急げ急げ」という意味の「ビストロ」という言葉をしばしば発したという。それが後にフランスの食堂を意味する言葉に転じた。どっとはらい。
この説を唱えているのは別にNofiだけではない。少しgoogle bookを検索しただけでもこの本"
http://books.google.com/books?id=CDOR0AjlqQYC
"のp149とか、この本"
http://books.google.com/books?id=kOsDxS2Mc10C
"のp172とか、この本"
http://books.google.com/books?id=hrvsUKMROSAC
"のp112など、すぐに多数の例が見つかる。要するに有名な逸話なのだが、おそらく嘘だ。
皮肉なことに、しばしば伝説を「史実」として掲載しているwikipediaが、この件については厳しい(そしておそらく妥当な)指摘をしている。英語wikipedia"
http://en.wikipedia.org/wiki/Bistro
"は「しかしながらこの語源は何人かのフランス言語学者に否定されている」と記しているし、フランス語wikipedia"
http://fr.wikipedia.org/wiki/Bistro
"も同じように書かれている。そしてどちらも論拠となる文献を示している。wikipediaが否定する理由、それは「ビストロの使用例が19世紀後半まで現れない」という史実にある。
こちらの本"
http://books.google.com/books?id=pRXYwzrw2ugC
"のixページにあるintroductionによれば、フランス語にビストロという文字が現れたのは1884年。ロシア軍によるパリ進駐から実に70年も後の話だ。もし本当にロシア兵の言葉に由来するのなら、もっと前からビストロという言葉がフランスで使われている筈なのに、なぜ70年もそうした事例が見当たらないのか。「ロシア兵の言葉に由来する」という説自体が間違いだからと考えるべきだろう。
ちなみにこの「ビストロ=ロシア語説は間違っている」説も別に目新しいものではない。1970年(今から40年前)に出版された本"
http://books.google.com/books?id=ezgTAAAAMAAJ
"のp58には「残念ながら、最近の文献学者はこの説を受け入れていない。ビストロはコサックによるパリ占領の際に生まれたものではない」とはっきり書かれている。しかし、それから28年後に出版されたNofiの本においてもこの俗説は生き延びているし、40年後の今になってもネット上で(しかもアジアの果ての言語においてまで)繁殖している。
では、一体いつこの俗説が誕生したのだろうか。正直よく分からないが、少なくとも1949年出版のMon ami Vassia"
http://books.google.com/books?id=qVgzAAAAIAAJ
"のp33には「コサックがパリを占領し、シャン=ゼリゼで宿営している時に、通りにいる行商人に同じ言葉[ビストロ]をかけていた」という記述があるので、20世紀前半には生まれていたのだろう。誕生して100年近く、もしくはそれ以上続いている風説ってことになる。いつものことだが、生命力のあるミームだからと言って、それが事実である保証はどこにもない。
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