デュゴミエ曰く?

 トゥーロン攻囲はナポレオンが初めて歴史の表舞台に登場してきた戦闘だと言われている。実際にトゥーロン陥落時に部隊を指揮していたのはデュゴミエだったが、彼はナポレオン(当時はまだブオナパルテと名乗っていた)をかなり頼りにしていたし、彼を称賛していた、という話がよく紹介されている。一例が英語wikipediaのトゥーロン戦"http://en.wikipedia.org/wiki/Siege_of_Toulon_(1793)"。「攻囲」という項目の冒頭に、デュゴミエの言葉なるものが載っている。
 
「『私はボナパルトの功績を語り尽くせない。優れた専門的な手腕、同程度に優れた知性、そして溢れるほどの勇敢さ…』
 ――ジャック=フランソワ・デュゴミエ将軍、トゥーロン攻囲時に」
 
 ほぼ同じ話がこちらのサイト"http://www.napoleonicsociety.com/english/Life_Nap_Chap4.htm"にもある。つまりネット上ではそこそこ知られた話なのだが、これは史実ではない。Joseph Du Teilの記したUne famille militaire au XVIIIe siècle"http://www.archive.org/details/unefamillemilit00teilgoog"には、陸軍省の公文書から引っ張り出したジャン・デュ=テイユ"http://fr.wikipedia.org/wiki/Jean_du_Teil"の陸軍大臣宛の手紙が載っている。その中には以下のような文言があるのだ。
 
「トゥーロン、霜月29日朝(1793年12月19日)。
 (中略)私はブオナパルテの功績を描き出す言葉を持ち合わせていません。多くの科学的知識、さらに多くの知性、多すぎるほどの勇気。それがこの稀有な士官の長所に関する僅かな概要です。大臣閣下、彼らを共和国の栄光に専念させるのがあなたの仕事です」
Une famille militaire au XVIIIe siècle, p410
 
 この本には公文書の写真まで掲載されているので、おそらく確実な史料だろう。つまりwikipediaで紹介されている言葉は実際にはデュゴミエのものではなく、トゥーロン攻囲でブオナパルテの上官として砲兵司令官を務めていたデュ=テイユのものだ。
 問題は誰が「この台詞はデュゴミエのものだ」と言い出したかなのだが、これがよく分からない。少なくともgoogle bookで調べた限り、出版物の中でこの台詞をデュゴミエに当てはめた事例は見つからなかった。著作権の関連で閲覧できない最近の本の中にあるのかもしれないが、そこまでは調べきれない。19世紀末に初版が出たWilliam Milligan SloaneのThe Life of Napoleon Bonaparte, Vol. I."http://books.google.com/books?id=EfAK7_xq6W8C"では、この言葉は間違いなくデュテイユのものとして紹介されている(p137)ので、おそらくは20世紀になって生まれた「伝説」だと思うが。
 
 ちなみにデュゴミエはトゥーロン戦後にブオナパルテを准将へ昇進させるよう進言したとも言われているが、これまた論拠が不明。上記デュ=テイユの手紙と同じ日にデュゴミエが記した報告書がMercure Français. No. 126."http://books.google.com/books?id=u3pBAAAAcAAJ"で読むことができる(p187-189)。そこで紹介されている人名は、派遣議員たち(ロベスピエール弟、サリセッティ、フレロン、バラスなど)とラポワプ将軍のみ。ブオナパルテの名はない。
 ナポレオンの若い頃についてまとめた伝記Biographie des premières années de Napoléon Bonaparte, Tome Second."http://books.google.com/books?id=MttEAAAAYAAJ"で紹介されている史料を見ても、デュゴミエが報告書の中でブオナパルテの名に触れているのは11月30日付のものだけで、オハラ将軍を捕らえた戦闘の時に名を上げた士官の一人として挙げられているに過ぎない(p237)。もしデュゴミエがブオナパルテの昇進を求めた文書があるのなら、伝記がそれを取り上げない訳がないだろう。
 実際には、デュゴミエがブオナパルテの昇進を求めたという話の淵源はセント=ヘレナのナポレオンにある。セント=ヘレナでナポレオンは以下のように述べている。
 
「デュゴミエは彼[ブオナパルテ]を准将に昇進させるよう公安委員会に手紙を記し、その中で以下のように述べた。この若者に報いて昇進させよう。なぜならもし我々が彼に感謝しなければ、彼は自ら昇進していくだろうから」
Mémoires pour servir à l'histoire de France sous le règne de Napoléon, Tome Premier."http://books.google.com/books?id=m7cNAAAAIAAJ" p46
 
 そもそもブオナパルテに対する言及自体がほとんどないデュゴミエが、未来の皇帝を本当はどう評価していたのか、正直よく分からない。ただ、彼がブオナパルテの直接の上官であるデュ=テイユを高く評価していたのは事実だ。トゥーロン陥落後にデュゴミエが記した文章では、デュ=テイユについて以下のように述べている。
 
「(前略)トゥーロン攻囲の軍務において名を上げたこの掛け替えのない士官[デュテイユ]は、国家的な表彰に値します(中略)。
 この将軍は軍にとどまっている間、よき市民精神を発揮し続け、砲兵司令官としての義務を完璧に果たし、あらゆる布陣において優れた知性と軍事的才能を示しました。
 モンターニュ砦の司令部において、雪月10日(12月30日)、共和国暦2年。
 司令官、デュゴミエ」
Une famille militaire au XVIIIe siècle, p413-414
 
 ブオナパルテがトゥーロンで果たした役割については様々な見解がある。一定の活躍をしたことは間違いないだろう。だが、デュ=テイユがトゥーロンで行ったことについては、そもそもほとんど知られていない。後の皇帝ナポレオンの強烈な輝きの影に隠れ、その実態は残念ながらよく分からない。
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