洗い直し

 過去に書いたものでも時に見直した方がいい。時間を置いて調べると見つからなかったものが発見できたりするからだ。例えばこちら"http://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/44915574.html"で書いた「ムッシュとシトワイヤン」の話。イタリア方面軍のマセナ師団とベルナドット師団の大掛かりな喧嘩の原因について「元ネタはティエボー」と書いたが、改めて調べなおしてみると別のソースが存在していた。ナポレオン政権下で海外亡命したサラザンである。
 彼が書いたGeneral Bernadotte, Prince Royal of Swedenなるものの一部をRoyal Military Panorama, Vol. III."http://books.google.com/books?id=JX0DAAAAYAAJ"で読むことができる。そこには、両師団の衝突のきっかけについて、ビリヤード場で起きた以下のような出来事を紹介している。
 
「熱烈な愛国者である[デュフォー]将軍がシトワイヤンという言葉のみを使ったのに対し、彼の競争相手は彼をムッシュとしか呼ばなかった。貴族的と思われる方法で呼ばれるのにうんざりしたデュフォーは、シトワイヤンと呼ぶよう相手に求めた。相手の士官はそれを拒絶し、自分は被告となった人物以外のシトワイヤンを知らないといった」
p326
 
 イタリア方面軍所属のデュフォー将軍と、ベルナドット師団に属していた士官の間で起きたこのささいな言い争いが、あの騒ぎにつながったのだとサラザンは主張している。ティエボーと違い、マセナ師団側の挑発ではなくベルナドット師団側の士官が実際に「ムッシュ」と発言したことがきっかけだというのだ。むしろ、このベルナドット師団側の士官の方が挑発的に見える。
 ただし、サラザンによると、それより以前、ベルナドット師団がイタリアに到着した時に、イタリア方面軍の士官が「イタリア方面軍の市民たち」と「ライン方面軍のムッシュ」について挑発的な言葉をベルナドット自身の前で発したことがあったそうだ(p321)。この際には直接的な衝突には至らなかったものの、こうしたトラブルが背景となって後の具体的な衝突につながった可能性はある。もちろん、サラザンの言うことが正しければ、だが。
 
 次はこれ"http://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/49800646.html"。ショレの戦いで大慌てで逃げ出すカリエを見てクレベールが皮肉を言ったという話について触れたものだが、そこではCrétineau-Jolyの初版本にその話が紹介されていないのではと指摘している。だが、この指摘は間違い。確かに第二版で当該挿話が紹介されている部分には載っていないのだが、実は全然違うページに「クレベールは叫んだ。『兵士諸君、議員殿を後方へお通ししたまえ。彼は勝利の後で人殺しをするつもりらしい』」(p495)と書いてあった。
 要するに著者は、初版本と第二版とでこの挿話を掲載する場所を変えたのである。別に第二版にあわせてでっち上げた訳ではないようだ。もっとも著者がどこからこの挿話を引っ張り出したのかは分からないまま。彼以前にこうした話を載せている本も見当たらない。未出版の史料でも探し出して載せたのだろうか。
 さらにこの記事"http://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/50479249.html"もチェックが必要。ランヌの負傷シーンについてミュラの怪我を先取りしたのではと書いたが、Ramsay Weston Phippsによると「彼[ランヌ]が塹壕の胸壁にある隙間から見ていた時、銃弾が両頬を貫き、何本かの歯を運び去っていった」(Phipps "The Armies of the First French Republic, Volume V" p406)ことがあったようだ。ただ、残念なことにPhippsはソースを示していないためこれが事実かどうかは確認できない。またランヌがこの怪我をしたのは4月24日。漫画に描かれていた時より前倒しであることは確かだ。
 
 最後にこちら"http://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/46001952.html"についても。カファレリが死に際してヴォルテールの本を朗読してもらったという話だが、ブーリエンヌの書いている「ヴォルテールの『法の精神』」ってのはおかしいんじゃないかと指摘させてもらった。「法の精神」の著者はモンテスキューだろ常識的に考えて。
 と思っていたらPaul Strathernの"Napoleon in Egypt"にとんでもないことが書いてあった。カファレリがブーリエンヌに頼んだのは「ヴォルテールが書いた(モンテスキューの)『法の精神』の序文を読んでくれ」(p357)だったのだそうだ。モンテスキューの著作にヴォルテールが序文を献じており、その序文を読んでほしいとカファレリは言った訳だ。
 なるほどそうかと思ったのだが、少し気になって「法の精神」の目次"http://www.voltaire-integral.com/Esprit_des_Lois/Table.htm"を調べてみると、序文の著者がヴォルテールだなどとはどこにも書いていない。本文の前にモンテスキューへの賛辞などが載ってはいるが、書き手はダランベールなど。google bookにある1749年出版の本"http://books.google.com/books?id=QSQVAAAAQAAJ"でも状況は同じだ。
 もしかしたらヴォルテールの序文付き「法の精神」(モンテスキュー著)がこの時代にあったのかもしれない。単に私が探しきれていないだけという可能性はもちろんある。でも、実際にそういう本を発見するまではStrathernの説を信用しなければならない理由はない。やはりブーリエンヌのこの話は眉に唾をつけて聞いておくことにしよう。
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