遭難報告書

 昨年7月、北海道の大雪山系で低体温症のため多数の登山者が亡くなる事故があった。このblogでも事故の直後に少し触れたことがある(これ"http://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/49056358.html"とこれ"http://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/49081728.html")。で、気づいていなかったのだが、今年3月に事故に関する最終報告書を日本山岳ガイド協会がまとめていた。同協会のサイト"http://www.jfmga.com/"でpdfファイルを見ることができる。
 報告書そのものについてはネット上でもいろいろな意見が出ているようだ。中でもこちら"http://d.hatena.ne.jp/swan_slab/20100308/p1"の意見には傾聴すべきものがあると思う。ただ、そこで指摘されているのはどちらかと言えばツアー登山を計画する側の視点で見た場合の報告書の不備だ。単に山に登る人間にとってこの報告書はどう見えるのか。随分前にやめてしまったが、かつて登山をしたことのある人間として少し書いてみたい。
 
 登山者にとって非常に参考になると思ったのは、まず低体温症に関する記述だ。p49-55にある「低体温症について」も具体的な症状に関する記述やトムラウシでの状況分析など役に立ちそうな部分が多いが、何よりp56-63の「低体温症の考察」が凄い。トムラウシでの事例をもとに、医学書などに書かれていた症状経過に必ずしも当てはまらない例があるのではとの指摘は、実に重要だろう。山での低体温症が教科書的な経過をたどるのではなく急激に進行する可能性がある点は、実際の判断をするうえで大いに役立ちそうだ。
 また、個人的には低体温症をもたらした要因の一つとして雨が大きかったのではないかと考えていたのだが、p60では「土砂降りのような雨ではなく、むしろ細かい雨または霧雨のような雨に強風という天候状態」と指摘。衣服がびしょ濡れになった人は多くなかったと指摘している。逆に言えば恐れるべきなのは雨よりも風なのかもしれない。衣服(特に下着)や装備を濡らさないことは山ではとても重要視されるが、強風に晒されることの危険性ももっと認識すべきなのだろう。
 その次にある「運動生理学の観点から見た本遭難の問題点と今後に向けての提言」(p64-79)も実に素晴らしい。強風がもたらす体力の消耗が想像以上に大きいこと、体力や身体特性に関する分析も見事だが、何より山行におけるカロリー消費の計算式を提示し、それとの比較で登山者がエネルギー不足に陥っている可能性を指摘した部分は白眉。天候が良くても体重の軽い人で1日2000キロカロリー強、重い人の場合は3000キロカロリー以上を消費するようなコースであったにもかかわらず、摂取した食事は1日1000キロカロリーの前半から後半レベル。どう考えても不足しているエネルギー分は体についた脂肪分を削りながら登っていたわけで、こうしたカロリー不足が低体温症の背景にあった可能性はある。
 そこからの提言として、実際に山に登る際に消費するエネルギー量を予め計算し、その7~8割程度は最低限補給できるようにすることを推奨している。実際、登山の際にそうした部分まで考えて装備を準備している登山者はそれほど多くないだろう(私が若い頃は食い物だけは豊富に持っていった記憶があるが、中高年登山では難しそう)。山行でのカロリー消費とその補給という切り口は、実際に山に行くうえで非常に参考になると思われる。
 「気象から見た本遭難の状況および問題点」(p80-88)は、前に私がblogで書いた点をより詳細に分析したもの。要するに夏のトムラウシでこの事故が起きたのと似たような気象条件は過去にも十分あったということを、もっと詳細なデータを基に立証している。「夏山といえども氷点下近くの低温下、風速20m/sec近くの強風下に曝されることがある」(p88)のを前提に準備をしておく必要がある。
 p89-91にある「伊豆ハイキングクラブの動向」は、事前にどのような準備をしていたかの事例として参考になる。ただ、このクラブのメンバーにも当日は低体温症と見られる症状を呈した登山者がいたそうで、その意味では当日はこれだけ準備をした登山者にとっても厳しい状況であったことを裏付けているのかもしれない。いよいよもって「登山自体を諦める」基準作りが重要になることは確かだ。
 
 以上、登山者にとっては結構役立つ情報が多い報告書なのだが、一つ不満が残るのは「それぞれの衣服」に関する記述がほとんどないこと。亡くなった人はどのような衣服を着用し、それはどの程度濡れていたのか。生き残った人たちの衣服は彼らと異なっていたのか、有意な差はなかったのか、そうした点に関するまとまった分析がないのは欠点だろう。生き残った人の個別コメントで、たとえばレスキューシートを体に巻いてそのうえから雨具をまとったといった話は出ているが、どの程度の衣類を着用すれば生き残る可能性が高まるのかまでは判別できない。こうした情報はもっと盛り込んでほしかったところだ。
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