空へ

 ナポレオン戦争期の気球に関して少し記しておく。こちら"http://www.ibiblio.org/pub/docs/books/gutenberg/etext97/dmair10.txt"にベーコンなる人物が気球に関する色々な話を記しているので、それを参考にしたい。
 彼の文章によれば、最初に人を載せて空を飛んだ気球のサイズは高さ74フィート(約22.6メートル)、最大直径48フィート(約14.6メートル)、細い部分の直径15フィート(約4.6メートル)で、二人の人物が乗り込み3000フィート(約914.4メートル)の高さまで上昇したという。とはいえこの気球はモンゴルフィエの作った熱気球。軍事利用されたのは水素ガス利用のものなのでサイズは異なる。
 では、フランス軍の使った気球のサイズはどの程度のものなのだろうか。ベーコンはフランス軍による気球開発について次のように述べている。

「アカデミー・フランセーズの学者たちによる監督の下でムードンに航空学に関する訓練校が設立されたのは、気球が最初に発明されてから十年以内のことだった。ギュイトン、ド=モルヴォー(著名なフランス化学者)とクートゥル大佐が主にこの動きに結びついており、彼らの下で50人の生徒たちが必要な訓練を受けた。訓練用気球は1万7000立方フィートの容量があり、気球膨張の新手法として純粋な水素で浮揚した(中略)。気球はいつでも満タンにしており、穏やかな天候の際には期を逃さず練習できるようになっていたようだ。さらに気球は巧妙に空気漏れのないよう作られていたため、ガスを補充しないまま2ヶ月の間、2人の人間と必要な装備及びバラストを空中に浮かび上がらせることができたという。現実の軍務に気球が使われる機会は1794年6月に訪れ、その際にはクートゥル自身が2人の幕僚士官とともにフランス軍が供用していた4つの気球のうち1つに乗ってフルーリュスのオーストリア軍を偵察するため上昇した。彼らは1日の間に2回浮上し、約4時間空中にとどまり、うち2回目の浮上は発見されたため敵から活発な射撃を受けた。しかし彼らは損傷を受けることなく、フルーリュスの戦いが成功裏に終わったのは気球の活動によるところが大きいと主張された」

 フルーリュスで使用された気球L'Entreprenantのサイズについては言及していないが、ムードンの訓練校で使用された気球については二人乗りで容量1万7000立方フィートであることが言明されている。また、こちらの絵"http://www.aerophile.com/pix_hist_tech/phG21.jpg"などを見ると当時の水素ガス気球がほぼ球形であったことが分かる。となれば、容量からサイズを計算するのも可能だ。球体の体積は4/3πr^3。それで計算すると当時の二人乗り軍事用水素ガス気球は直径約9.7メートルとなる。熱気球の最大直径に比べれば約5メートルも短く、それだけ扱いやすいサイズだったと想像できる。
 ただ、ベーコンの記述には異論もあるようで、こちら"http://www.centennialofflight.gov/essay/Lighter_than_air/Napoleon's_wars/LTA3.htm"を見ると気球が最初に軍務に使用されたのはフルーリュスではなくモーブージュ。オーストリア軍は気球の使用は戦争法に違反するとしてその撃墜を試みたが、クートゥルはケーブルを伸ばして射程距離外に逃げたという。なおケーブルをいっぱいに伸ばした時には望遠鏡で29キロメートル遠方まで見ることもできたとか。当時の軍隊の移動距離で言えばほぼ一日分に当たる。
 一方、実際の軍事行動で気球を使いこなすのには困難も伴った。宙に浮いた状態の気球をモーブージュからシャルルロワに移動させるには24人のクルーが必要だったそうだし、エジプト遠征時にフランス軍が持ち込んだ気球はおそらく使われることなくネルソンの攻撃で海に沈んでしまった。結果ナポレオンは政権を取った後で全世界初の航空部隊を解散してしまったそうだ。こちら"http://luth2.obspm.fr/archives/Meudon/"によると解散後にL'Entreprenantは民間に払い下げられ、その後また公共物となって高度7キロメートルの記録を達成したという。
 水素ガス気球が使い方次第では便利なものであったことはおそらく確かだろう。しかし、強行軍に象徴されるナポレオンの軍事行動においては、移動しづらく扱いづらい気球は現実問題としてほとんど使えないものだったと想像できる。ナポレオンは遠くを見る目より速い足の方を重視したのだろう。

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