司令官殿下の指揮下にあるフォーラルベルク駐留部隊によってグリゾンで行われた5月14、15、及び16日の攻撃に伴う状況の記録
カール大公殿下は、伯爵ベレガルデ中将によるエンガディーヌへの前進を、グリゾンへの攻撃と極めて迅速なコワールへの前進と組み合わせることで支援するよう、ホッツェ中将に命じた。その命に従い、ホッツェ中将は伯爵ベレガルデ中将と連絡を取った後に、14日の攻撃の日と定めた。後者[ベレガルデ]からは、モンタフーネルに駐留する伯爵シュターレンベルク少佐麾下の1000人のノイゲバウアー連隊の分遣隊を彼の下に出すこと、及びもう1つの強力な縦隊をフロラ峡谷を通じてダフォスまで前進させることについて約束を受けた。ホッツェ中将は、リュシアン=スタイグの拠点を占拠している兵が増援を受けたこと、及び敵の司令官マセナがその少し前にグリゾンへの通路の防御をより固めるためにそこにいたことについての情報を得て、正面からの攻撃は無理だとの見解を強めた。そこで彼はフェルトキルヒからブレゲンツまでの線を守るためにかなりの部隊を残し、攻撃用の歩兵と騎兵を4つの縦隊に分けることを決めた。ホッツェ中将自身が指揮する第1縦隊は、敵がライン左岸のヴェルデンベルクに砲列を敷き、バドゥツ近くの隘路を極めて危険な状態にしたにもかかわらず、13日夜にバドゥツとバルツァースに集結した。同日夜、ホッツェ中将はヴェルデンベルクからラガーツへ向かうライン沿いの道を封鎖することを視野に入れてバルツァース近くに12ポンド砲の砲列を敷いた。ツェラチッチ将軍麾下の第2縦隊は13日夜にアルプスのマイエンフェルト山に集結した。ヒラー将軍麾下の第3縦隊は13日から14日にかけてアルプスのゼフィス山に集められた。伯爵プランケット大佐麾下の第4縦隊は13日夕にグルガイレンの隘路の先端部に集まった。第1縦隊が敵の正面と側面に陽動攻撃をしている間に、第2[縦隊]がマイエンフェルト・アルプスを越え、リュシアン=スタイグにある敵の陣地の後方へと突入し、そうすることで第1[縦隊]がラングヴァルト川へ前進してそこに陣を敷くことができるようにする。第3大隊[ママ]は敵をゼフィス近くの塹壕陣地から追い払い、跳ね橋へと急いでそこを確保し、必要なら1個大隊でツェラチッチ将軍を増援し、残りの部隊でラングヴァルトにかかる上ツォル橋と、ラインにかかる下ツォル橋を確保する。最後に第4縦隊は、クロスターとケーブリスの敵を攻撃し、すぐに伯爵シュターレンベルク少佐をダフォスへ派出し、残りの部隊で跳ね橋へ急いでヒラー将軍を増援するよう命じられた。さらにシャフィガー峡谷に新たに建設された道路を封鎖するため、フェデリスとコンタース近くに1個大隊が配置された。第2、第3、及び第4縦隊は極めて高く険しい山岳をはい登り、絶え間ない困難を乗り越えなければならなかった。6フィートの深さがある雪の中を進み、攻撃が行われる集合地点にたどり着くために12時間前から行軍する必要があった。アルプスのマイエンフェルト、ゼフィス、及びスラピンの山頂を支配する極端な寒さのため、集合場所を他に変えることは不可能だった。士官たちが示した模範によって勇気づけられた兵士たちが、不屈の堅固さと勇気をもってこれらの困難全てに立ち向かったことは、いくら称賛しても足りないほどだ。
モンタフーネル峡谷の優れた住民たちは行軍を手助けするためのその能力をいかんなく発揮し、特に兵の後に続く弾薬や食糧の輸送に役立った。年老い最も経験を積んだ住民たちは、第4縦隊の砲兵と騎兵がスラピン山の山頂を安全に越えたことに驚きを表明した。
フォーラルベルクとモンタフーネルの住民で構成した中隊は各縦隊に配分され、ガイドとしてだけではなく、あらゆる場面において戦闘でも極めて役立った。
14日夜明け、各縦隊は敵の前哨線に到達した。第1縦隊はバルツァース前面に準備したままとどまり、第2[縦隊]が敵の後方に行う攻撃を待った。
ツェラチッチ将軍は、第4ペーターヴァルダイン大隊とライアクシッヒ中尉麾下のライフル銃兵2個中隊を指揮するエルフォス少佐がクレックを越え、スタイグを後方から攻撃できるようなやり方で、彼の縦隊を行軍させた。
将軍はマイエンフェルトとツェニンス間の高地に布陣し、これらの地域を確保し、マッタンスを攻撃している間に、もう1つの分遣隊をラインにかかる下ツォル橋へ前進させた。敵は大砲1門、弾薬車1両、そして砲兵3人を残して森へ退却した。
エルフォス少佐はツェラチッチ将軍の縦隊の砲声を聞くや否や、ペータヴァルダイン大隊の3個中隊に支援されたライアクシッヒ中尉のライフル銃兵にスタイグの右側面を攻撃するよう命じた。第4ペーターヴァルダイン大隊のミリヒ大尉は敵の宿営地に直接前進し、ロフィッヒ中尉は左翼の極めて狭い道に沿って攻撃した。
敵が全砲兵の砲撃をこれらの部隊に差し向けたにもかかわらず、猛烈で活気ある攻撃のために守備隊は武器を置いて投降することを余儀なくされた。大砲6門、榴弾砲2門、及び弾薬車9両がスタイグで見つかった。指揮官と大勢の士官、700人の兵が捕虜になった。300人からなる守備隊の残りは、ホッツェ将軍が陽動のため左翼に置いていたカウニッツ連隊の一部の手に落ちた。
スタイグの門が開かれるや否や、ホッツェ将軍とベイ将軍はラングヴァルトに到達してその地を確保するため騎兵と伴に前進した。敵はその川の上流の橋を焼き落としていたが、ブレットシュナイダー大尉は槍騎兵の分遣隊と伴に、急流にも関わらず流れを渡渉し、[敵]後衛部隊の2個中隊に武器を置いて投降することを強いた。キゼレフスキー大尉は彼の槍騎兵大隊と伴に下流の橋まで敵を追撃したが、その両端に火をつけるのを妨げられなかった。モデナ竜騎兵のガルネカ大尉はそれを見るや否や、ケルペン連隊のいくつかの分遣隊と第3ペーターヴァルダイン大隊の先頭に自ら立ち、激しいマスケット銃の銃撃にもかかわらず、炎上する橋を渡り、敵を追い散らして1門の大砲を奪った。フォーラルベルクの武装した農民に支援されたヴァルデック竜騎兵のサーペス中尉は、フラッシュ近くで敵をラインの彼岸へ追い払い、それからヴァルデック竜騎兵のプラッツ伍長を対岸へ送り出した。彼は農民の助けを借り、敵から散弾の砲撃を受けながら3門の大砲を奪い去った。
長くなったので次回に続く。
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