フランス革命を題材にしているネット上のコンテンツとしてこういうもの"
http://oyoguyaruo.blog72.fc2.com/blog-category-48.html"がある。革命の流れが結構おもしろおかしく描かれており、読んでいて楽しく時間が潰せるという意味でいいフィクションだ。もちろん、歴史モノの宿命として登場人物数がインフレ状態に陥っているが、これは仕方ない。むしろ多すぎる人物と事実の紹介だけにとどまらず、色々とドラマを盛り込んでいる点は見事である。
ただ、この手のものを見ると史実と比較してみたくなるのが私の性だ。で、そういう視点で見るとどうしても突っ込みを入れたい部分がたくさん出てくる。「面白ければそれでいい」という掲示板のネタに突っ込むのは野暮だと承知のうえで、それでも突っ込んでみたい。
とはいえ軍事関連で突っ込み始めるとキリがないのも確か。革命戦争当初に殺された将軍の名前Dillon"
http://fr.wikipedia.org/wiki/Theobald_de_Dillon"は、普通日本語表記では「ディロン」じゃなかろうかとか、ヴァルミーの戦場にオーストリア軍はいなかったとか、ネールヴィンデンにおける連合軍の司令官が名前すら出てこないほど完全に無視されているとか、某漫画に続いて根拠に乏しい「フェルニッヒ=デュムリエの愛人説」が紹介されているとか、相変わらず日本語サイトにしか出てこない「不敗のダヴー」なる意味不明なフレーズが登場するとか、とにかくたくさんある。
でも今回はそれよりも政治関連で気になった部分を取り上げよう、具体的には国王裁判だ。
国王裁判は革命を物語化するうえでは重要なクライマックスの一つ。そのためか、票決についても詳しく描き出している。具体的には最初に投票したマイユ、モンターニュ派のロベスピエール、サン=ジュスト、クートン、マラー、ダントン、カミーユ=デムーラン、オルレアン公、ジロンド派のブリッソー、ヴェルニヨ、イスナール、ペティヨン、ビュゾー、平原派のシエース、カルノー、バレール、カンボン、コンドルセの計18人分について、具体的な投票内容を紹介している。
このうちモンターニュ派は問題ない。いや正確には問題はある。例えばダントンの実際の発言内容は、当時のモニトゥール紙によれば「暴君とは妥協できないこと、国王たちの頭を叩き落すしかないこと、軍事力なくして欧州から何かを引き出すことはできない点を無視するこの政治屋連中に私は属していない。私は暴君の死刑に投票する」(Réimpression de l'ancien Moniteur, Tome XV."
http://books.google.com/books?id=Rck-AAAAYAAJ" p198)だったようだ。
クートンの発言も「市民諸君、ルイは公の自由に対する攻撃と国家の全般的安全に対する陰謀とで国民公会から有罪を宣告された。私は良心に照らしてこれらの罪を確信している。裁判官の1人として法律を紐解けば、そこには死刑と記されている。この判決を適用するのが私の義務だ。その義務を果たそう。私は死刑に投票する」(p200)という、かなりしゃちほこばった建前ばかりのものだった。サン=ジュストは「ルイ16世は人民とその自由及び幸福の敵だ。従って結論は死刑」(p211)と話していたし、ロベスピエールの発言(というか演説)は実際には遥かに長かった(p197-198)。
とはいえモンターニュ派の連中に関しては、少なくとも結論(つまり死刑)は史実と同じである。問題なのはジロンド派。彼らについては、史実の発言と作品中での発言があからさまに違っている事例ある。例えばブリッソー。上のサイトでは「死刑に反対」「禁固刑で十分」と述べているが、モニトゥール紙に載っている彼の発言(p221-222)のラストは実際には以下の通りだ。
「私は死刑に投票する。ただ、その執行は国民による憲法承認まで停止すべきである」
p222
どこにも「禁固刑で十分」なんて言葉はないし、「死刑に反対」などと言ってはいない。フランス語wikipediaに載っているブリッソーの項目"
http://fr.wikipedia.org/wiki/Jacques_Pierre_Brissot"にもモニトゥール紙と同じことが書かれているし、フランスの国会サイトにあるブリッソーの経歴紹介"
http://www.assemblee-nationale.fr/sycomore/fiche.asp?num_dept=12239"にもやはりモニトゥール紙そのままの文章が紹介されている。
ペティヨンも然り。上のサイトでは「マイユとは別の執行猶予を前提とする条件付死刑」となっているが、実際の発言はモニトゥール紙によれば「修正案や執行猶予の提案があった。私はこれらの修正案に対する意見を持たないことを告白する。これら[の修正案]が議論されることを求めるが、現時点で私の希望は純粋かつ単純に死刑だ」(p222)。条件も執行猶予もつかない、ただの「死刑」を求めていることが分かる。
逆の意味で違いがあるのがヴェルニヨ。上記サイトでは単純に「死刑」としか読めないが、モニトゥール紙における彼の発言は「私はマイユと同じ希望を表明する。そしてそれが議会の審議対象となることを求める」(p185)だ。つまり彼の意見はマイユ条項付き死刑だったのである。正直、ブリッソーとそれほどの差はない。
ジロンド派の中で上記サイトとモニトゥール紙がほとんど同じなのはイスナールとビュゾーくらいだ。イスナールは確かに「私の主義に従い、死刑に投票する」(p208)と言明しているし、一方でビュゾーは死刑に投票しつつも「判決とその執行との間に期間を置くことを繰り返し要求する」(p221)と話している。ただ、それも含めてこの5人のジロンド派議員の中に死刑以外の刑を求めた者は1人もいない。
上記サイトとモニトゥール紙で違いがある点では、最初の発言者であるマイユもそう。彼は死刑に投票すると述べたうえで「もし死刑が多数なら、その執行時期を遅らせることが有用か否かについて国民公会で検証する価値があると私は信じる」(p184)と述べている。あくまで執行猶予するかどうかについて改めて議論することを求めているだけであって、執行猶予を「加えるべき」とは一言も言っていない。マイユ条項を「執行猶予付き死刑」としてしまうのは、史実を踏まえるのなら間違いである。
もちろん上のサイトはあくまでフィクションなのだし、話が面白ければ史実と異なる発言が載っていても何の問題もない。むしろ気になるのは、作者がジロンド派の発言を純粋にフィクションとして書いたのか、それともどこかに元ネタがあったのか、という点だ。元ネタが存在するのなら、史実でない話を誰かが広めていることになる。
それ以外の発言者についてもモニトゥール紙をチェックしてみよう。18人のうち、死刑以外の刑を求めたのは実はコンドルセしかいない。彼は死刑について「私の主義に反する」と延べ、そのうえで「禁固刑に投票する(中略)。私は刑法の中で最も重い罰に投票するが、それは死刑ではない」(p211)と話している。かつて死刑廃止を要求していながら国王裁判では「死刑に投票する」(p198)と述べたロベスピエールよりは、よほど首尾一貫している。
余計なことを言ったのがカミーユ=デムーラン。彼は死刑に投票すると述べた後で「国民公会の名誉にとってはおそらく遅すぎた」(p198)と付け加えた。これが一部議員の憤激を買ったようで、モニトゥール紙にはその後に括弧書きで「ざわめき――数人がカミーユの処分を求めた」と書かれている。わざわざ公会自体を侮辱するような発言などしなくてもいいものを。口は災いの元。
それに比べると歴史的には知名度の高いシエイエスの方がやはり大物である。彼は余計なことなど口にしない。彼が国王裁判で述べたのは「死刑」La mortのたった2単語(p205)。実に簡にして明。何も足さない、何も引かない、というか引けない。さすがは革命のモグラ、二股膏薬フーシェと全く同じあたりも素晴らしい。ま、実際にはLa mortの2単語だけで終わらせた議員は数多くいるので、別に彼らだけが特別というわけではないのだが。
別の意味で面白いのがマラー。「私は、ルイこそが8月10日に大量の血を流した犯罪と、革命以来フランスを汚してきたあらゆる虐殺の張本人であるとの信念を公言してきた。24時間以内に暴君を死刑とすることに投票する」(p198)というのが彼の台詞だ。「あらゆる虐殺」と称して9月虐殺の責任までルイにおっ被せている厚顔無恥ぶりも見事だが、実はもっと笑えるのが「24時間以内」の部分。このフレーズはマラーの2人前に発言したビヨー=ヴァレンヌの言葉(p198)をそのままパクっているのだ。ダメじゃん。
最後に、国王裁判では欠かせない人物の発言を紹介しよう。モニトゥール紙は議場の反応まで書き残している。
「エガリテ:人民の主権に従ってあらゆることを行ってきた、またこれからも行うことを確信している私の義務感にのみ従うなら、死刑がふさわしい。私は死刑に投票する。
(議場の一部でざわめきが起きる)」
p200
コメント
No title
やる夫フランス革命の作者です。
こちらのblogと「祖国は危機にあり」のサイトは大変な参考とさせていただいております。
資料の整合性を確認するために最近の記事を覗いておりましたら、
自分の稚拙な作品を取り上げられていたのを見て、冷や汗混じりの驚愕を感じた次第です。
ご指摘のあったように、私の参考資料は日本語文献及びサイトが中心で、他には英語圏中心に機械翻訳で整合性を図っているのみで、
フランス語は読めないためにモニトゥール紙からの引用は、日本語文献に記載がなければ、それすら上げられない次第です。
2010/04/15 URL 編集
No title
最初に書きましたが、このような記事を書いてくださったことに関しては恐縮なことであると同時に、きちんとした形で批評をくださったことに大変な感謝をしている次第であります。
ですので、もし、これ以降、管理人様のサイトからの明らかな引用などが迷惑であるのなら、そういった点を削除したいと思います。
1スレ100レス程度という限られたなかでの不足した物語で、誤解を招くことも多々でございますが、もし、自分の作品にご理解いただけるようでしたら、その旨、今後の投下にて公表したいと思います。
では、長くなりましたが、回答いただけることをご期待します。
2010/04/15 URL 編集
No title
引用についてはサイト、blogとも自由にしてください。別段断りもいりません。私のサイト及びblog自体、史料からの引用で成り立っているようなものですので。
あと掲示板のネタ読者としては、史実にこだわるより「面白くする」方に力を入れてほしいというのが本音です。どうだっていいじゃないですか、ブリッソーが史実で何と言っていたかなんて。そんなのは興味を持った人間が勝手に調べればいいだけの話です。
2010/04/16 URL 編集
No title
今回の件は今後の参考とさせていただきますので、
今後ともよろしくお願いします。
でも、本日の投下はナポレオン……プレッシャーですね。
2010/04/17 URL 編集