Antony Brett-Jamesの"The Hundred Days"に関する心覚えの追加。
「私はこの惨劇の中で二人のフランス軍士官に保護を提供することができた。彼らは私にフリーメイソンであることを示すサインを示したので、私は彼らを後方へ連れて行った(中略)。この二人の士官は安全かつ健康な状態でブリュッセルへ到着した」
Brett-James "The Hundred Days" p114
バイラント旅団のベルギー人が残したこの文章は、互助組織であるフリーメイソンがどのような役割を果たしていたかが分かるものだ。日本では陰謀論と絡んで言及されることも多いが、実態はこんな感じの組織だったのだろう。
「我が連隊が所属していた[デルロン軍団]三番目の師団も他と同様に大隊ごとに整列したが、ある大隊と次の大隊の間はたった4歩しか離れていなかった」
Brett-James "The Hundred Days" p114-115
フランス第45連隊に所属していたデュティール大尉の記録は、第1軍団によるオーアン街道での戦闘についてフランス側から記した貴重なものである。これを見る限り、マルコーヌ師団が悪名高い「師団縦隊」を組んでいたことは確かなようだが、この記録が載っている本の出版年が不明なので正確さについては判断しがたい。
「突然、我々の進路は塞がれた。窪地状の道路に隠れていた英大隊が立ち上がり、至近距離から我々を撃ってきた。我々は銃剣で彼らを追い払い、斜面をさらに登り、彼らの大砲を守っていた窮屈な一続きの生け垣を乗り越えた。そして高地にたどり着いた我々は『勝ったぞ!』と叫んだ」
Brett-James "The Hundred Days" p115
同じデュティールの記録ではフランス軍歩兵はオーアン街道までたどり着いたことになっている。連合軍の騎兵もこのタイミングで自軍の歩兵が後退していたことに言及しているのは、以前にも記した通り。フランス軍の中には連合軍歩兵に撃退されることなく前進してきた部隊が存在したのはおそらく確かなのだろう。
「この時、我が将軍[ポンソンビー]とその副官が生け垣の傍を右の方へ馬に乗って去った。そして突然、ド=ラシー=エヴァンズ[ポンソンビーの副官]が帽子を振るのが見え、そしてすぐに我々の中佐イングリス・ハミルトンが『今だ、スコッツグレイ、突撃!』と叫び、剣を空中で振り回し、正面の生け垣に向かって真っすぐ乗り込んだ」
Brett-James "The Hundred Days" p116-117
これまた以前に書いたが、スコッツグレイの突撃を命じたのはやはりポンソンビーではなく同連隊の指揮官ハミルトン中佐だったことが分かる。上の記録を残したのは同連隊のジョン・ディクソン伍長。ただし、1911年に出版された本に載っている話なので、どの程度正確なのかは分からない。
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