心覚え

 Antony Brett-Jamesの"The Hundred Days"を読み進めているところ。目に付いたところを心覚え代わりに記しておく。

「彼らが階段の下にたどりついた時、私は皇太子[オラニエ公]の傍に急ぎ伝令文を渡した。彼はそれを見ることなく背後の[ウェリントン]公に手渡し、公は静かにそれをコートのポケットに入れた」
Brett-James "The Hundred Days" p43

 リッチモンド公夫人の舞踏会であったと言われている場面だ。よく紹介されている話だが、この話はワーテルロー戦後30年経過した時に、ジュリアン・ヤングなる人物がヘンリー・ウェブスター(ワーテルロー戦時は第9軽竜騎兵連隊の中尉だった)から聞いた挿話だとか。ヤングの回想録に残されているのだが、いささか時間が経過しすぎているのが気になる。

「Napoleon has humbugged me, by God!」
Brett-James "The Hundred Days" p44

 これまた有名な台詞だが、こちらはコールドストリーム近衛連隊所属のジョージ・ボウルズ大尉がマルムズベリー伯に宛てた手紙に書かれていたものだとか。マルムズベリー伯の書簡集に収録されており、遅くとも1820年までに書かれている模様。問題はなぜボウルズがこんな話を知っていたかだが、ボウルズはリッチモンド公屋敷の一室でこの会話がなされた2分後にリッチモンド公自身からこの話を聞いたという。ウェリントンは「ここでナポレオンと戦う」と言いながら地図上の場所を親指で示し、そこにリッチモンド公が鉛筆で印を付けたのだそうだ。こちらは上の挿話より事実である可能性が高いように思える。

「我が軍が陣を敷いた稜線上やその直下にいた我々自身の砲兵もまた、絶えず我々の頭越しに的の兵や大砲に向かって砲撃をしていた。いくつかのシュラプネルは過早に爆発し、第52連隊の何人かを負傷させた」
Brett-James "The Hundred Days" p131

 第52連隊のウィリアム・リークが残した記録では、味方の頭越し砲撃が危険であることが指摘されている。危険でありながらなおそれが実行される場面があったことも分かる。リークの方陣はフランス軍の砲撃にかなり苦しめられていたようで、砲撃が止む「敵騎兵突撃は我々にとって大いなる救済だった」(Brett-James "The Hundred Days" p131)とも記している。

「彼ら[フランス騎兵]は10から15ヤードの距離に近づいたところで『皇帝万歳!』と叫びながらカービン銃を撃ってきたが、騎兵による射撃が一般的にそうであるようにほとんど効果がなかった。我々は弾薬を節約し、散開した兵たちを相手に無駄遣いしないため、彼らが近くで密集しない限り撃たないよう命じられていた。結果として騎兵がカービン銃を撃ち、なおかつ遠くにとどまっていた場合、我々はちょくちょく互いに向き合い、次に何をするべきか分からないまま動きを止めてお互いを見る羽目になった」
Brett-James "The Hundred Days" p135

 第1近衛歩兵連隊のグロノウの記録によれば、騎兵対方陣が実際は心理戦であったことがよく分かる。映画ワーテルローでは華々しく騎兵が突撃し、方陣を敷いた歩兵が簡単に銃を撃っているが、現実はこういう「にらめっこ」のような場面もあったわけだ。歩兵同士の戦闘も含め、この時代の戦闘ではこういう心理的要素が大きな比重を占めていたのだろう。となれば心理的駆け引きと関係なしに砲弾を飛ばしてくる大砲が嫌われるのも仕方なかったのかも。

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