ナポレオン漫画の最新号は中継ぎ的な展開だったが、とりあえずダヴーの「馬鹿は最前線の百歩先だっ」でまず笑った。さらにボナパルトの「さぼりやがったな」、クレベールの「正気か」、そしてベルティエの「辞める! わたしは辞めるぞ」と、やたら怖そうな顔のアップが続くところもなぜかツボに。一応、アイゼンファウストで鍛えたエロシーンも入っているが、やはりこの作品のキモはむさくるしいおっさんの顔であることが改めて確信された。
という訳で史実との比較を。冒頭に出てくるダヴーのドゼー師団合流は1798年12月29日のことだった(Georges Six "Dictionnaire Biographique... Tome I" p296)。前回のカイロ暴動が10月の出来事だったので、時系列的には問題ない。
で、そのダヴーが怒鳴りつけたドゼーの「ハーレム」だが、これについてはドゼーが知り合いに宛てた手紙が元ネタになっているのはほぼ確かだろう。文章はこちら"http://ahrf.revues.org/document365.html"で読めるが、そこは名前の出てくる女性だけで4人(グルジア出身の金髪Astiza、アビシニアの陽気なSarah、チグリスの無垢なMara、そして大柄なFatma)いるほか、他に黒人女性3人、おそらくは小姓だと思われる黒人のBaquilとマムルークのIsmaelが登場する。いささか冗談めかした文章のためどこまで事実かは不明であるが、漫画に出てくる4人程度のハーレムなら十分にあり得たことが分かる。
続いて次第に背が高くなっている印象のあるクレベールの登場。彼がカイロの司令部に到着したのは10月22日("Dictionnaire Biographique... Tome II" p11)であり、カイロ暴動の翌日にあたる。ドゼー師団にダヴーが合流するより前の話なので、この部分は物語の時間軸が前後していることになる。でもまあこの程度ならかわいいもの。次はもっと盛大に時間が飛ぶ。
「次」とはフーシェの警察大臣就任だ。漫画を読んでいるとまるでボナパルトのシリア遠征(戦報にもあるように1799年2月から本格的にスタート)以前にフーシェが警察大臣に就任したように思えるが、実際に彼が警察組織のトップになったのは同年7月20日"http://fr.wikipedia.org/wiki/Joseph_Fouch%C3%A9"。モニトゥール紙には8月1日に記事が載っている("http://books.google.com/books?id=EdZnAAAAMAAJ" p758)。ボナパルトは既にシリアからエジプトに戻っている。アブキール海戦ほどではないが、これも一応長谷川マジックだろうか。
逆にほとんどマジックではないのが、ヴィスコンティ夫人を祭ったベルティエの「聖域」だ。何しろ複数の人間が「私は見た」と証言している。一人はブーリエンヌ。彼は以下のように述べている。
「ある日の3時頃、司令官から参謀長への命令を伝えに行ったところ、ドアの向かいに掛けたマダム・ヴィスコンティの肖像画の前で彼[ベルティエ]が小さなクッションの上に跪いているのを見つけた。私は自分がいることを伝えようとしてベルティエを押した。彼は少しばかり文句をいったが、怒っている様子はなかった」
Mémoires de M. de Bourrienne, Tome Second"http://books.google.com/books?id=T3cKAQAAIAAJ" p205-206
もう一人は司令官ボナパルト。彼はセント=ヘレナでグールゴーに以下のように語っている。
「砂漠の真ん中に、彼[ベルティエ]はテントを持ち込んだ。中にはヴィスコンティ夫人の肖像画があり、そこで彼は香を焚いていた。このテントと荷物を運ぶため、3頭のロバが使われていた。しばしば私はそこに入り、ブーツを履いたままソファに横たわった。ベルティエは怒り狂った。この聖域を冒涜する行為だと思っていたからだ」
Sainte-Hélène, Tome Premier"http://www.archive.org/details/saintehlnejo01gouruoft" p307
ここまでやるとは常軌を逸している気もするが、複数の証言があるのだからおそらく史実なのだろう。人生いろいろ、男も女もいろいろだ。
ベルティエが帰りたがったのも事実のようだ。ブーリエンヌもそうした話を記しているが、ナポレオン書簡集にもボナパルトがベルティエに出した帰国命令が掲載されている(Correspondance de Napoléon Ier, Tome Cinquième"http://books.google.com/books?id=glouAAAAMAAJ" p276-277)。日付は1799年1月25日。シリア遠征の始まる直前である。
ウジェーヌの話はベルティエ話ほど史実一辺倒ではない。彼の誕生日は1781年9月5日(Mémoires et correspondance politique et militaire du prince Eugène, Tome Premier"http://books.google.com/books?id=62MuAAAAMAAJ" p27)、つまり当時の彼はまだ17歳だったが、彼がエジプトで女奴隷を購入していたことはシェヘラザードさんも書いている"http://grandearmee.web.fc2.com/slavegirl.htm"通りだ。もっとも女奴隷は複数ではなく1人だったように読める(Juan Cole "Napoleon's Egypt" p178)。
史実でなさそうなのは、ウジェーヌが母親の浮気を貶していたこと。実際のところ、遥か遠くのパリで浮気している実母よりも、目の前で浮気している継父の方がよほど若者の癇に障ったようだ。よりによってボナパルトはポリーヌ・フーレと馬車でドライブに出かける際に副官たち(ウジェーヌ少尉も副官の一人だった、Georges Six "Dictionnaire Biographique... Tome I" p66)も同行させたようで、腹を立てたウジェーヌは連隊勤務に替えてもらうようベルティエに頼んだ。
「その結果、私と継父の間に緊迫したやり取りが行われることになった。だがその時から彼[ボナパルト]はこの女性と一緒に馬車で出かけるのはやめた」
Mémoires et correspondance politique et militaire du prince Eugène, Tome Premier, p27
以上で史実との比較は終わりだが、それ以外についてもいくつか。まず、作中に出てくるちょっとした工夫についてだ。冒頭のシーンでビクトルが負傷して後送されているが、これは彼をシリア遠征に送り込むやり方としてはなかなか上手い。ドゼーはずっと上エジプトにいたので、彼の師団に所属している限りシリアに行くことはあり得ない。しかし、せっかくの狂言回しをシリア遠征で使えないのはもったいない。いったん負傷兵として後方(おそらくカイロ)に送り、それからシリアに向かわせることで、ビクトルが砂漠での死闘に巻き込まれたりベストの恐怖に怯えたりする展開に持ち込めるわけだ。
もう一つ、今後の予想もしておこう。まず新たな登場人物として期待されるのが、屠殺屋ジャザール・パシャ"http://en.wikipedia.org/wiki/Jezzar_Pasha"だ。存在自体がこの漫画向きの人物なので楽しみである。また、英国の冒険野郎シドニー・スミス"http://en.wikipedia.org/wiki/William_Sidney_Smith"もどう描かれるか興味深いし、ボナパルトのかつての同級生であり亡命貴族のフェリポー"http://fr.wikipedia.org/wiki/Antoine_Le_Picard_de_Ph%C3%A9lippeaux"再登場もあるだろう。個人的にはフェリポーがタンプル監獄からシドニー・スミスを救い出す場面を、回想シーンでも構わないので描いてほしいところ。
長谷川マジックの一種として「史実より先に死んでしまう」人物が出てくるかどうかも予想してみよう。とりあえず、アクル以降に大きな活躍をしない人物はマジックの対象になりうる。具体的にはジャザールがそうだ。ランヌあたりと派手な一騎打ちをしたうえでくたばってもらいたい。シドニー・スミスはアブキールの陸戦で再登場があるので無理かな。むしろ危ないのはクレベール。彼はボナパルトの後を継いで東方軍の司令官になるのだが、それを除くと(ナポレオン英雄史観的な視点で見れば)あまり活躍の場がない。タボール山の戦いでボナパルトの来援を知ったところで満足して息絶える場面などが描かれるかもしれん。うーむ、実に楽しみ。
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