1799年史料ロンドン・ガゼット その10

 ウィーン、4月24日
 カール大公殿下はシャフハウゼン奪取に関する以下の詳細を報告してきた。
 敵はなお、ライン右岸に位置するシャフハウゼンの町とコンスタンス湖にあるペータースハウゼンと呼ばれる郊外を保持しており、特にシャフハウゼンに多くの兵を集めているのが容易に見て取れ、そして双方の地点から近くに布陣している伯爵ナウエンドルフ中将の部隊に有利な攻撃を仕掛けることができるため、殿下は敵をこれらの2地点から追い払い、彼らの陣地を我々の兵によって占拠しなければならないと命じた。
 この手配の結果、伯爵ナウエンドルフ中将は、4個戦列歩兵大隊といくつかの予備砲兵に支援された軽歩兵と騎兵のかなりの部隊と伴にシャフハウゼンへ前進するよう伯爵バイエ中将に命じることを求められた。彼はこの命令に従い、敵に半時間の間に町を放棄して河の左岸へ退却するよう勧めた。シャフハウゼンの指揮を執る士官は増援を呼び寄せる目的で交渉によって時間を稼ごうとしたが、伯爵バイエ中将は敵の狙いに気づき、有利な位置に布陣していた砲兵に橋と町の門を砲撃する命じ、それ以上の遅滞なく町の敵を攻撃した。極めて頑強な抵抗にもかかわらず、彼は敵をラインの彼岸へ追い返し、彼らは退却の際に橋を燃やした。
 この際、敵は数百人の兵が戦死するか負傷し、100人が捕虜となった。17門の大砲と様々な武器が奪われた。我々の損害は20人を超えなかった。
 伯爵バイエ中将はラシー連隊のある兵士による勇気ある行動について詳しく述べている。彼は自発的にラインを泳いで渡り、我々の援護射撃を受けながら左岸に係留してあった2隻の船を解き、それを引いて河の真ん中まで戻ってきたところで河の流れが彼を燃える橋へ追いやり、2隻の船も炎上した。そのため彼は河へ飛び込み、右岸へ泳いで戻ることを余儀なくされた。彼の行為はもう一人を勇気づけた。2人はラインに飛び込み、いくつかの船を持ってきた。その結果として、ラシー連隊の17人から18人が他の者に続き、さらに多くの船を得た。殿下はこの称賛に値する熱意への褒美として、そして他の者の励みにするため、最初の者に黄金のメダルを、2番目の者に銀のメダルを与えた。
 14日夜明け、ピアツェック少将はペータースハウゼンを大いなる気迫と決意で攻撃し、敵をそこから追い払い、対岸にあった船を沈めた。
 プフォルツハイムとブリュックザルを通じてフィリップスブルクへ送られた分遣隊は同日、その要塞との連絡を回復し、偵察隊をマンハイムへと推し進めた。
 同時にフィリップスブルクの指揮官だったライン伯ザルム中将は、守備隊の一部を構成していたバンベルク竜騎兵の僅かな分遣隊の偵察部隊がヴァクハウゼルを通って前進し、4騎のフランス猟騎兵を捕縛したと報告した。ライン伯はこの機を捕らえて上記の分遣隊の行為と、封鎖されていた間の残りの守備隊を称賛した。
A Collection of State Papers Relative to the War Against France, Volume 8"http://books.google.com/books?id=dYfhdzYbIa0C" London Gazette, p186-187

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