1812年の…

 Adam Zamoyskiの"Moscow 1812"読了。ロシア側の視点について詳細に記しているのが特徴の本だが、大陸軍側についてもいくつか面白いこぼれ話がある。まずはルフェーブル元帥の逸話から。彼が部下の老親衛隊に向かって行った演説だ。

「『擲弾兵と猟兵どもよ、コサックどもはここと、ここと、ここと、ここにいる』彼はコンパスの四方を指さしながら言った。『もしオレについて来ないのなら、お前らは×××だ。オレは普通の将軍ではない。そしてオレがモーゼル軍で神として知られていたのには十分な理由がある。擲弾兵と猟兵どもよ、お前らにもう一度言う。もしオレと一緒に来なければ、お前らは×××だ。そしてどっちみち、オレは×××なヤツなど気にしない。勝手に行って×××されるがいい』」

 さすがは不躾夫人の夫だけあるというべきか。まあ正確に言えばこうした軍隊用語を使いこなしていたのはルフェーブルだけではなかったようで、ヴィルナ郊外でミュラに出会ったノエル少佐は以下のような彼の台詞を聞いている。

「『少佐、我々は×××された』とナポリ王は答えた。『すぐ馬をつれて逃げろ』」

 小説じみた話もいくつか伝わっている。オランダ人の将軍、デデム=ド=ヘルデルは以下のような経験をしたそうだ。

「モスクワでデデム=ド=ヘルデル将軍は、荷馬車を運転し馬の面倒を見るための利口な若い少年を新たな従者として雇うよう説得された。そしてずっと後、退却の混乱のさなかで、彼はその少年がボロディノで戦死したある砲兵士官と恋に落ち、彼についていくため家から逃げ出した15歳のフランスの少女であったことに気づいた」

 そのまま歴史小説の題材に使えそうな気もするが、おそらくこういった話は他にも多数あったのだろう。お医者様でも草津の湯でも、というヤツだ。そしてもう一つは信じられないほど長生きした人物の話。

「1890年代、あるロシアの歴史家が、ベレジナで捕虜になった第2ユサール騎兵連隊のニコラ=サヴァン中尉が、毎日水をやって育てている花に囲まれたサラトフ郊外の小さな家に住んでいるのを発見した。彼の書斎には青銅製のナポレオンの彫像と彼自身が記憶に基づいて描いた皇帝の水彩肖像画があった。彼は誇らしげにレジオン=ドヌール勲章を着けたまま1894年まで生き、同年おそらく127歳で死去した。彼がフランスへ戻らなかった理由は、ナポレオンの支配していない祖国を見るのが我慢ならなかったためであった」

 どこまで本当なのか分からないが、事実だとすれば日清戦争の時までナポレオンのロシア遠征参加者が生き延びていたということになる。何ともすごい話だ。

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