ジョミニの本を読んでいると、ナポレオン時代の将軍たちについて触れている部分がある。そこにはもちろん、ジョミニによる将軍の能力への評価も含まれている。1804年に元帥となった将軍たちを紹介した部分のラストには、以下のような文章があった。
「これら将軍たちの描写を見るに、マセナ、スールト、そしておそらくダヴーを例外として、軍の指揮権を委ねられる人物はいなかった(註)。
註:副王[ウジェーヌ]、[グーヴィオン=]サン=シール、スーシェ及びウディノは、もっと後になって昇進した」
Vie politique et militaire de Napoléon, Tome Deuxième"http://books.google.com/books?id=nQYKAAAAIAAJ" p60
ここに上がっている名前のうち、全く理解不能なのはウディノだ。彼は1812年のポロツクでも、13年のグロース=ベーレンでも失敗しているし、ナポレオン自身も彼のことをノータリン呼ばわりしている"http://www.asahi-net.or.jp/~uq9h-mzgc/del.html"。ジョミニが彼の名を上げたのは1812年や13年に別働軍の指揮を執ったことが理由だろうが、他の名前と並べると正直いかがなものだろうかという気はする。それに、ウディノの率いた軍は厳密には「独立した軍」とは言い切れない。
一方、1799年から独立した軍の司令官として活躍したマセナ、イタリアを中心にかなり独立性の高い軍事行動を委ねられたウジェーヌ、スペインで文句のない実績を上げたスーシェは、実際に「軍の指揮権」を握って成功を収めた人物として取り上げても文句はないだろう。スールトはスペインや南仏で軍の指揮権を握ったものの、その実績は英軍相手に負け続けだった。グーヴィオン=サン=シールとダヴーはほとんど「独立した軍の指揮権」を握ったことがない。
ジョミニがあげた名前は、当時においてそれなりの評価を得ていた将軍たちだと思える。後の時代の我々が見るのとは、また別の視点があったのだろう。実績に欠けるとはいえ、スールト、ダヴー、グーヴィオン=サン=シールらも、おそらく評価されるだけの何かを持っていたと考えていい。でもウディノだけはよく分からない。何でジョミニは彼の名前を出したのだろうか。謎だ。
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