クレベール評

 前回、クレベールの身長について述べた。で、今回はついでに以前調べたことがある「ナポレオンのクレベール評」を掲載しよう。グーヴィオン=サン=シールが記録したものについてはこちら"http://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/47984598.html"で言及しているので、それ以外のものを載せる。


「諸君[英国]はエジプトを取ることはできなかった筈だ。もしクレベールが生きていたら、諸君は決して彼の地を征服することはできなかった。砲兵も騎兵も持たない軍隊では。トルコ軍の存在は全く重要ではない。クレベールの死はフランスと私にとって取り返しのつかない損失だった。彼は輝かしい才能と偉大な勇気を持っている人物だった」
Napoleon in Exile, Vol. I."http://books.google.com/books?id=VXkRAAAAYAAJ" p36

「将軍として見ると、モローはドゼーやクレベール、あるいはスールトと比べてさえ圧倒的に劣っていた。私の麾下にあった全ての将軍たちの中で、ドゼーとクレベールは最も偉大な才能を有していた。特にドゼーがそうで、というのもクレベールは栄光を富と快楽を入手するための手段としてのみ愛していたからであり、一方でドゼーは栄光そのものを愛し他の全てを軽蔑していた」
p153

「クレベールとドゼーの損失はフランスにとって取り返しのつかないものだった。もしクレベールが生きていれば、エジプトにいた諸君[英国]の軍は滅びていただろう」
p154

「もしクレベールが生きていれば、諸君[英国]は決してそこ[エジプト]を征服できなかった。彼はカイロから9日間で軍を動かし、諸君を圧倒しただろう」
p283

「クレベールの容姿だけが彼ら[マムルーク]の考えに合致していた。彼は並外れて見た目のいい男だったが、彼の態度は極めて無作法だった」
Mémorial de Sainte-Hélène, Tome Premier"http://books.google.com/books?id=K28uAAAAMAAJ" p278

「彼[クレベール]が生きていれば、エジプトは確保できていただろう。エジプトの喪失は彼の死に起因しているに違いない」
p282

「彼ら[クレベールとドゼー]は私の部下の中で最も際立った二人だった。どちらも偉大で稀有の長所を持っていたが、彼らの性格と気質はとても異なっていた」
p287

「クレベールは生来の才能の持ち主であり、ドゼーのそれは完全に教育と勤勉の結果だった。クレベールの才は、出来事の重要性によって覚醒された特定の瞬間にのみ発揮された。そしてすぐに怠惰と快楽の内部で眠りに落ちた。ドゼーの才は常に完全な活動状態にあった。彼は高貴な野心と真の栄光のためにのみ生きていた。彼の性格は真にいにしえからの模範のように形作られていた」
p287

「クレベールは最も優れた才能を与えられていた。しかし彼は単なる時の人でしかなかった。彼は幸福へ至る道としてのみ栄光を追い求めた。彼には国民感情のようなものはなく、何の躊躇いもなく外国の軍務に自らを捧げることができた」
Mémorial de Sainte-Hélène, Tome Second"http://books.google.com/books?id=zW8uAAAAMAAJ" p18

「これが勇敢なクレベールの心情だった! ――後に彼は陰謀にミスリードされたことで自ら苦しんでいたが、彼の心は真のフランス人にふさわしいものだった。彼は決してエミグレと誓約することはなかった。彼は決して我々の鷲と縁を切らなかった」
Derniers momens de Napoléon, Tome I."http://books.google.com/books?id=Z3guAAAAMAAJ" p94

「クレベールはいつも女と首都での楽しみのことを考えていた。彼の目に栄光は享楽への道としか映っていなかったが、ドゼーは栄光そのものを目的として愛していた。アクルでクレベールは城壁の突破口を視察しようとも私に意見を述べようともせず、そうすことによって襲撃が失敗した際にはそれを非難できるようにしていた。にもかかわらず私は3回も彼に襲撃を行わないよう命じることを余儀なくされた。彼は兵の先頭に立って行軍したがった。栄光と不名誉の間で選択しなければならなくなった時には、彼は極めて偉大なことを成し遂げる能力があった。彼には政治的能力はなく、カイロのシークたちをおだてる私のやり方に反対していた。彼は預言者(マホメット)の子孫であるシーク・サダを杖で200回打ち、そのため暗殺された。一方、シークたちを親切に扱っていた私は、宗教の名において私に対し行われた陰謀について彼らから3回警告を受けた。何人かが彼について軽視する発言をしたから、彼はヘリオポリスで戦った。キースの手紙がその原因だった。彼は誰にも相談しなかった」
Talks of Napoleon at St. Helena with General Baron Gourgaud"http://www.archive.org/details/talksofnapoleona00gour" p72

「彼[クレベール]はとても背の高い人物によくある欠点とよい性質をともに持ち合わせていた、と皇帝は返答した」
p73

「ドゼーは私の最良の将軍であり、次がクレベールで、おそらくランヌが三番目だ」
p226

「偉大な将軍というのはありふれたものではない。革命期のあらゆる将軍の中で私が知っているのはドゼーとオッシュだけであり、彼らはもし生きていれば有名になったであろう。クレベールはあまりに快楽を好みすぎた。彼はエジプトを去ろうと望んだことで自らの名誉を汚した。私が彼を恐れているという話があったが、おお神よ! 私が彼に金を与え、公爵に叙任していれば、彼は私の手にキスしたであろう」
p232

「もしクレベールが生きていれば、エジプトはフランスが保持し続けていただろう」
"In Napoleon's Shadow" p649


 読めば分かる通り、陛下は(時に矛盾もしているが)大体同じような話を何度も繰り返していたようだ。

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