スパイ大作戦・動画版

 youtubeでシュルマイスターを紹介した動画"http://www.youtube.com/watch?v=3iw4mlOX5xs"を発見した。おそらくドイツのテレビ番組か何かで流された映像の一部だろう。音声はドイツ語だが、フランス語字幕がついているのでそれを日本語に翻訳してみた。


 パリの外務省公文書館に、ナポレオン時代のスパイに関する記録が残されている。
 ナポレオンにとって最良の諜報員は、バーデン生まれのドイツ人だった。
 革命以降、彼はフランスのために働いた。その名をカール=ルートヴィヒ・シュルマイスターという。
 「ウルム、1805年」
 彼は人を騙すプロだった。
 そして彼は、ある人物と密接なコネを築いていた……
 [神聖ローマ皇帝]フランツ2世配下の司令官、カール・フォン=マックと。
 「マック中将[Feldmarschall-leutnant]は私の古い知り合いだった」
 「私はパリに強力なコネを持つハンガリー貴族として、既に何度か彼と会っていた」
 「その時以来、私は彼の信頼を得るふりをするため、ナポレオンの計画に関する情報を常に提供していた」
 「1804年[ママ]10月にウルムを訪れた際にも、私は同じことをした」
 フォン=マック中将は厄介者ナポレオンを攻撃するよう皇帝フランツに命じられていた。
 彼は軍をウルムに集めた。
 兵力は十分ではなかった。マックは増援を待った。
 9万人の兵が向かっている最中だった。彼らがいつ到着するかは曖昧だった。
 シュルマイスターはマックの計画をナポレオンに伝えた。
 それに対しナポレオンは兵をすぐにウルムへ差し向けた。
 彼はマックが増援を得る前に戦うことを望んだ。
 「ナポレオンの部隊は既にライン河を渡っていた」
 「マックはそのことを知らされており、そして私は彼に状況を過小評価させる責務を負っていた」
 「どんなことがあっても、マックがこの時点でウルムを去ってその軍を窮地から救い出すことは避けなければならなかった」
 「マックは騙されやすい性格の持ち主だった」
 「私はパリでナポレオン政権転覆の試みが存在すると彼に話し……
 皇帝は可能な限り素早く退却するだろうと指摘した」
 「善良な中将は、しかしながらこのあり得そうにない話に対して懐疑的だった」
 「そこで私は、手紙の他に[転覆計画の存在を示す]説得力のある文書を彼に示すと約束した」
 シュルマイスターは存在を疑われているクーデターの証拠を素早く入手するためウルムを離れた。
 彼はフランス軍の宿営地で手助けしてもらった。
 24時間のうちに、宿営地の印刷機を使ってパリの新聞『モニトゥール』の模造品が作り上げられた……
 シュルマイスターが確言したように、黒を白と言いくるめたものが。
 「この新聞を使って私は中将を説得した」
 「マックはウルムにとどまった」
 1805年10月14日早朝、ナポレオンはウルムを攻撃した。
 深刻な損失にもかかわらず、マックの軍は後退しなかった。
 ナポレオンは都市の包囲に成功し、あらゆる方角から砲撃を浴びせた。
 砲弾はウルムの大聖堂に飛び込み、砂岩の塊に食い込んだ。
 建物が崩壊する危険があるため、誰もそれを取り除くことができなかった。
 包囲された街を混乱が支配した。
 住民とオーストリア兵は食糧不足に苦しんだ。
 状況は絶望的だった。
 4日後、マックは降伏文書に署名した。
 それ以上の血を流すことなく、フランス軍は2万人以上の捕虜を得た。
 偉大な勝利だった!
 ナポレオンはそれを、彼のスパイであるカール=ルートヴィヒ・シュルマイスターのおかげでもあると考えた。
 彼の関与がなければ、この勝利のためにより多くの血が流されたであろう。


 どこまで史実を正確に紹介しているのかは分からないが、なかなか興味深い話だ。特に偽の新聞を作成したという部分は、本当だとしたら実に面白い。もちろん、史実を確認するためにはきちんと一次史料に当たる必要があるが。

 なおyoutubeにはschulmeister espion de l'empereur"http://www.youtube.com/watch?v=QJNcIb1p5vo"という動画もある。こちら"http://fr.wikipedia.org/wiki/Schulmeister,_espion_de_l'empereur"を見ると、どうやら1970年代にフランスのテレビで放送されたドラマ(全13話)のオープニングシーンらしい。もしかしたらシュルマイスターは私が思っている以上にフランスでは有名なのかも。

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