1799年史料・その17

 フランスの全権大使をゼルツへ運んだバーデン辺境伯に所属する4人の御者に対する尋問、バーデン代表団の要求に従って行われたもの
 1.アンドルー・カスパードは供述書において、彼はジャン・ドゥブリ大使の馬車を運転していたと宣誓した。出発に際し彼はボニエ大使から、馬車を止められ誰を運んでいるか問われた時には彼らはフランス大使であると答えるよう命じられた。そして実際、ライナウ峡谷の入り口で彼は何人かのオーストリアの(Royal Imperial)ユサール騎兵に止められた。そこで前記の質問が彼になされ、彼は命じられたように答えた。ボニエの所在と、そして彼が運んでいる人物の名と問われた彼は、ボニエは2台目の馬車におり、彼の馬車にはジャン・ドゥブリがいると答えた。この情報に基づいてユサール騎兵の多くは馬車に乗りつけ、そこからドゥブリ大使と彼に同行していた女性たちを引きずり出し、すぐにサーベルで前者を攻撃し、その後で女性を引き寄せ、彼女らを調べた。彼自身もサーベルの平の一撃を受け、馬の間に落ちた。そして彼が誰であるか質問され、辺境伯の御者であると答えると、彼に怪我を負わせることはないと保証された。
 2.ジェームズ・オーンヴァイラーはジャン・ドゥブリがいくつかのサーベルの打撃を受けたのを見たと証言した。同時に何人かのユサール騎兵が3台目にいた彼の馬車に乗りつけ、中に誰がいるかを聞いた。彼がボニエだと答えると、何人かのユサール騎兵が馬車の両側の扉に乗りつけ、『降りろ、ボニエ!』と叫んだ。彼らはすぐに窓を割り、大使を引きずり出し、乗用馬の傍にいた彼の目の前で大使を虐殺した。そして彼らは大使の持ち物と馬車の中の物を奪った。また彼はボニエがフランス語で悲嘆の声を上げ、『パルドン』と発音したのを聞いたと考えている。
 3.ジェームズ・ヴァイスは公使館秘書のローゼンティールを運んだ4台目の馬車を運転していたと証言した。彼は前方の馬車からドゥブリとボニエが引きずり出されたのを見た。前者が受けた扱いは彼が観察するには遠すぎる場所で起きたが、彼はユサール騎兵が『ボニエはどこだ?』と叫ぶのをはっきりと聞いた。彼は彼らがボニエを馬車から引きずり出し、同時にサーベルで彼の脚に切りつけ、彼が地面に倒れた時にずたずたに切り裂いたのを見た。ロベルジョについては、ユサール騎兵はボニエを虐殺した後で彼の馬車に駆けつけ、彼をずたずたにした。自らの血にまみれたロベルジョは、まだ生きている様子だったが、下馬したユサール騎兵がサーベルで彼に6回切りつけた。
 4.4人目の御者は彼の馬車も同時にユサール騎兵に攻撃されたと証言した。彼が運んでいる大使の名を問われたが、彼が知らなかったので彼らは馬車にいた召使に聞き、ロベルジョだと知って彼らは『そうか! 奴か』と言った。彼らは扉を開け、大使を引きずり出し、ハンガリー語を話していた一人の下士官の命令で、恐ろしいやり方で彼を虐殺し、その衣服をはぎ、まだ息が残っていたため攻撃を再開した。同様に馬車から引き出されたロベルジョ夫人は、彼女も夫と一緒に殺してくれと下手なドイツ語で繰り返し彼らに懇願していた。
(サイン)J・H・W・ミュラー
 花月10日(4月29日)ラシュタットにて、ポセルト氏同席のもとで
A Collection of State Papers Relative to the War Against France, Volume 8"http://books.google.com/books?id=dYfhdzYbIa0C" p269-270

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