気球

 Napoleon Series"http://www.napoleon-series.org/"の掲示板に、気球に関する話が載っていた"http://www.napoleon-series.org/cgi-bin/forum/webbbs_config.pl?page=1;md=read;id=102388"。読んでみると、いかに気球が扱いにくい存在であったかが分かる。たとえば直径30フィート(約9メートル)の気球を水素で満たすためには、約3900ポンド(約1770キログラム)の鉄と、同量の硫酸、そして19500ポンド(約8800キログラム)の水が必要になったという。気球一つを上げるのにトン単位の材料を揃えなければならなかった訳だ。
 硫酸は原料供給が少なかったうえに軍需品製造に欠かせないものだった。また水素を作り出す際には大量の水を水蒸気にする必要があり、燃料も大量に消費したようだ。南北戦争の際にフランス革命時と同じ手法が試されたようだが、実用的でないと判断されたほどだという。
 実際にフランス革命時に使われた気球のサイズは直径36フィート(約11メートル)。水素で気球を満たすのは2日がかりだったうえ、空中からの光景に慣れていない乗員のためあまり軍事的に有用な情報は得られなかったとか。また、気球は地面とケーブルでつながれていたが、強風の際には酷く揺れて乗員が乗り物酔いになったそうだ。
 気球部隊が1796年のヴュルツブルクの戦いでオーストリア軍に奪われたこと、1798年にはボナパルトのエジプト遠征にも同行したがアブキール湾の戦いで失われたことなどは既に知っていた。ボナパルトがカイロで住民に見せ付けるために使った気球は、軍事用の水素利用気球ではなく「モンゴルフィエ」、つまり熱気球だったようだ。また気球部隊の解散を決断したのはナポレオンではなく総裁政府だという。
 面白いのは1812年のロシア遠征の際に、ロシア軍がナポレオンの司令部を狙うための気球を製造しようと試みた件だろう。5日間かけて気嚢を満たすなどかなり大掛かりな気球だったようだが、実際には使われなかった。ちなみにWalter Scottによると、モスクワ総督だったロストープチンは気球を作ってフランス軍に上空から炎を降らせるとの口実で可燃性の物をかき集めていたのだとか("http://books.google.com/books?id=cC82AAAAMAAJ" p348)。

 気球部隊の指揮官だったクートゥルの話も紹介されている。彼が最初に公安委員会の命令を持って最前線に現れた時、現場にいた派遣議員は気球が何であるか理解できず、彼のことをスパイ扱いしたらしい。当時、気球を上げた高さは1500フィート(英フィートか、それとも仏フィートなのか不明)。オーストリア軍が気球に向かって大砲を撃ってきたため、ケーブルを手繰って気球の位置を動かし、射程から外れることができるような工夫をしたという。
 クートゥルによれば気球部隊は味方から大いに尊敬と信頼を勝ち取っていたそうだ。兵士はこの部隊のために必要な食糧などを提供してくれた。当然、オーストリア側もこの部隊には関心があり、クートゥルがオーストリア軍との交渉の席に出た際には質問と賛辞を浴びせかけてきたという。強風が吹いた際には気球がへこむこともあったらしく、それが元の形に戻るときには遠距離まで届く大きな音がした。その際に気球が破裂することもあったようだ。
 革命戦争期にはそこそこ使われた気球部隊だが、1799年1月には解散される。ナポレオンは気球を民間に売り払ってしまい、以後ナポレオン戦争期において気球が軍事利用されることはなかった。気嚢に水素を入れるのに必要な物資の量や設備、かかる時間を考えると、予め水素を入れた気球を運ぶ方法でなければ軍事利用はしにくいだろうし、かといって直径11メートルに膨らんだ気球を機動的に運用するのもそれはそれで難しかっただろう。時間のかかる攻城戦なら役立ちそうだが、ナポレオンの軍事作戦では攻城戦はほとんど行われることはなかった。
 ワーテルローの戦場に気球があれば、理屈の上ではプロイセン軍の動きなども把握しやすかっただろう。でも現実はどうだったか。悪天候の日も多かったあの戦役で、巨大で動きの鈍い気球をどれほど使うことができただろうか。そのあたりを考えてみるのも面白いかもしれない。

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