軍隊と女性

 John A. Lynnの"Women, Armies, and Warfare in Early Modern Europe"読了。題名の通り、欧州の近代初期軍事史において女性がどのような役割を果たしたかを記したものである。もっとはっきり言うなら、軍隊について歩いていた女性たちについてまとめた本だ。様々な挿話などで取り上げられることはあっても、体系的に調べられることはあまりないジャンルに光を当てている。
 軍隊について歩いた女性といっても、主に二種類に分けられる。女性としてのジェンダーを保ったまま非戦闘的な役割を果たしたものと、しばしば性別を隠して戦闘に従事した女戦士たち。近代初期の軍隊にはもちろんその両方がいたわけだが、圧倒的に多かったのは前者であり、後者はほとんど数えるほどにとどまっていたという。例外的に珍しくなかったのは、包囲された街などで男性と肩を並べたり時には指揮を執って戦った女性たち。サラゴサのアグスティナはそうした多くの女性たちの一人ということになる。
 包囲された街で戦った女性たちは特に性別を隠す必要はなかったし、それほど違和感なく受け入れられたが、野戦軍で武器を持って戦った女性たちはほとんど男性のふりをしていたという。彼女らの中には単に戦うことだけが目的なのではなく、社会的に男性のポジションを占めることを狙って軍に入った者もいたようだ。男性のふりをすることで女性のままでいるより高いポジションを(一時的であっても)得ることができただろうし、中には性同一性障害のため男性になろうと軍に入った人物もいたという。
 性別を隠す上で困難となったのが生理的現象、特に小便とメンスだったという。驚いたことに小便用には男性器を模した道具があったそうだが、それでどこまで誤魔化せたのかは不明。他にも胸の問題もある。通常は布を巻くなどして胸を目立たせないよう努力していたようだが、中には全くそうした対応をせず、あっという間に女性であることがバレた兵士もいたようだ。また、妊娠によって性別が判明した女性兵士もいた。この場合、相手の男はその正体を知っていたことになる。
 そうした衣服に隠れる部分に比べ、どうしようもないのが髭だ。若いうちは「まだ子供だから」という言い訳もできるが、年齢を重ねて顔に皺でも出てくるとその説明も通用しなくなる。軍隊のようにほとんどプライベートがない世界では、人に見られていないところで髭を剃っていると言うことも難しい。男性に化けた女性兵士が、永久に周囲を騙し続けることは基本的に不可能だったようだ。
 女性であることが判明しても実際にはそれほど厳しい処罰は下されなかったという。中には兵士としての年金をもらった人もいるし、兵士ではなくなっても軍隊内で酒保の仕事にありついた事例も見受けられた。社会的にも女性兵士は芝居などでしばしば取り上げられたようで、好奇の目で見られはしてもそれほど酷く批判された訳ではないようだ。
 また、Lynnが調べた期間の中で最も新しいフランス革命期になると、フェルニッヒ姉妹のように性別を隠すことなく軍で戦う女性も出てきた。ただ、これも少数派にとどまったようで、政府は女性兵士を大々的に採用することはなかった。軍隊で戦う女性というのは、近代初期においてはずっと例外的存在であった。

 Lynnの分析の主な対象となっているのは、女性兵士ではなく軍隊について歩いた女性たちである。彼女たちをLynnは大きく三種類に分けている。娼婦、内縁(Lynnは適当な言葉がなかったとの理由で"Whores"と記述している)、妻だ。娼婦は文字通りで、不特定多数の男性兵士を相手にしていた女性、内縁は正式に結婚こそしていないものの特定の男性兵士と排他的関係にある女性、そして妻は男性兵士と正式な結婚をした女性だ。
 Lynnによれば近代になって宗教改革や反宗教改革が広まるにつれ、教会が認めた正式な結婚を重視する価値観が強まる一方で娼婦を排除しようとする流れが出てきたという。軍隊についてきた女性たちに対してもそうした価値観を適用しようとする動きが広まる流れがあった。そして、実際に近代初期においても、前半は多くの女性が軍隊について歩いていたのに、後半になると正式な妻のうち軍に認められた一部の女性のみがついてくるようになり、女性の数が減少したという。
 女性の数が減ったのは単に宗教的価値観だけが理由ではない。非戦闘員が少ない方が軍隊としての機能は高まるという現実が背景にあったし、何より「女性がいなくても軍隊が行動できるようになった」ことが大きい。Lynnの主張の中でもキモになるのはこの部分。彼によれば近代初期の、特に前半の軍隊に多くの女性がついてきたのは、彼女たちがいなければ兵士の生存自体が危うくなったからだという。一方、後半になって女性の数が減ったのは、彼女たちの数が少なくても兵士が生き延びていくことができるようになったからである。
 女性たちが果たしたのは経済的役割、特に近代初期前半の「集団契約軍」が依存していた略奪経済における一定の役割だった。作戦地域における略奪は特に傭兵軍が動き回った近代初期前半においては珍しくない現象だったが、彼女たちもその略奪には積極的に参加し、そうやって手に入れたものを売りさばいて収入につなげていたという。そうした時代において、軍隊に入ることは一攫千金を狙うことでもあった。兵士と、兵士にくっついていた娼婦、内縁、妻たちは、略奪経済で一旗あげようと試みた起業家だったとも言える。
 こうした軍隊のありように頭を抱えたのがフランスのルイ14世。集団契約をする傭兵軍は、生き延びていくために味方の土地でも関係なく略奪を行う。逆に言えば略奪をしなくても生きていけるだけのリソースを契約主(君主)が払っていなかったことを意味するし、それは君主にそれだけの財力がなかったためである。軍隊のありようを変えるためには、まず国家制度をより確固としたものに作り変え、国内の資源を効率よく集めるようにする必要がある。一種の財政=軍事国家の建設が必要になる。そのうえで、初めて傭兵軍のありようを変えることができるのだ。
 ルイ14世がその仕事をやり遂げたのに象徴されるように、軍隊のありようが大きく変わったのは絶対主義国家の時代だった。より中央集権的で効率的な国家体制ができた結果、国家は傭兵ではなく常備軍に頼れるようになり、しかも軍の数が大きく増えた。フランスではルイ14世より前には平時で1万人、戦時にも6万―8万人だった軍隊が、彼の改革後には平時で15万人、戦時には書類上なら45万人、実際にも36万人規模まで膨れ上がったという。
 逆に急速に減少していったのが非戦闘員の数。絶対主義以前には少なくとも戦闘員とほぼ同数、場合によっては3倍にも及ぶ非戦闘員(全てが女性ではない)がついて歩いていたのに対し、絶対主義以降にこの数は急速に減少。1813年12月のウェリントン率いる軍隊では、正式にはついてくることを認められていない女性たちも含めて兵士6万人に対し女性が5600人にまで減っていた。女性がいなくても軍隊は生き延び、活動することができるようになったのだ。
 印象としては個々の事業主が戦場という同じマーケットで勝手に行動していた傭兵軍に対し、国家という大企業が登場して規模の経済を生かしながらより効率的活動を始めたという感じか。かつて地域の商店街の近くに大規模スーパーが現れ、商店街が一気に衰退していったのを思い起こさせる。男性兵士は自分の店を失っても巨大スーパーの従業員として雇われ引き続き仕事に従事できたが、女性は職にありつくことができず戦場というマーケットから排除されていったのだろう。
 そして現代。戦場から排除されていった女性は今では戦闘員として再び戦場に舞い戻りつつある。もちろんこちらも数としては少数に過ぎないが、近代初期よりは圧倒的に多いはず。また、一度は「国営化」が進んだ軍隊関連の業務は、最近になって民営化の流れが強まり、民間軍事会社のような存在が数を増やしている。巨大化しすぎたスーパーがやがて巨大さゆえの非効率に陥り、小規模ながら小回りのきくカテゴリーキラーにやられているような話だ。軍隊といえども経済活動と全く無縁ということはあり得ない。

 Lynnの本には他にも軍隊内における女性の役割など面白い話が色々とあるのだが紹介はこの程度にしておこう。いずれにせよ、軍事史における非戦闘員の役割については、もっと調べた方がいいように思える。

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コメント

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RAPTORNIS
女性兵士というと、ロシアの槍騎兵ナジェージダ・ドゥーロワ著の「女騎兵の手記」を読んだのですが、著者は性同一性障害ではないかという印象がありました。父親が騎兵将校だったため、兵営で育った、ということだったのですが、「普通、女性がそこまでなるだろうか?」と思ったものです。

余談ですが、Mike Robinson著のThe Battle of Quatre Bras 1815がAmazon.co.jpから先月、ようやく届きました。3年待たされた末ですが、現在、仕事に忙殺されていて、ゆっくり読む時間がないのが残念です。

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desaixjp
ドゥーロワの本は随分昔に読みましたが、もう内容はほとんど覚えていないですね。むしろLynnの本ではブレヒトの戯曲で有名な「肝っ玉おっ母」が出てきたことに感心しました。そういやこの戯曲、筒井康隆がネタにしていたと記憶しています。
ワーテルロー関連ではこんな本"http://books.google.co.uk/books?id=n0QFAAAAIAAJ"もあるようです。帝国司令部からの命令は色々な本に載っていますが、こちらにはレイユやデルロンがネイに宛てて記した報告書などが掲載されています。ご参考まで。

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RAPTORNIS
御無沙汰しております。
御紹介の書籍ですが、アドレスバーに入力したところ、行き当たりませんでした。誠にお手数かけますが、題名および著者(もしくは編者)名を教えていただけないでしょうか。

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desaixjp
google bookの題名は"Mélange militaire: Spectateur, Sciences militaires"となっていますが、実際に本の中身を見ると"Documents Inedits sur la Campagne de 1815"と書かれていますね。
まあ普通にmelange militaireで検索すれば見つかるので大丈夫だと思います。
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