霧の中で・下

 承前。ナポレオン漫画最新号。

 フランス艦隊がマルタを出港したとの情報を得た時にネルソンがいたのは、シチリア東南部にあるパッセロ岬沖合。マルタからはほとんど距離がない。そこから彼はアレクサンドリアへ一直線に、つまり東南の方角へ向かった。一方、19日にマルタ島を出たフランス軍は輸送船が多いために足が遅く、実はそんなに遠くまで移動してはいなかった。しかも彼らは真っ直ぐエジプトを目指すのではなく、まずはクレタ島(Candie)目指して東へ進んでいた(Guerre d'Orient, I. p124)。かくして漫画に描かれたように、両艦隊が地中海上で交叉するような動きを取ることになったのである。
 その同じ22日昼、ネルソンは2隻のフランス軍と思われるフリゲート艦を見つけている。彼はその風下側にマルタ島の財宝を積み込んだ戦列艦がいると考えたが「私が求めているのは敵の壊滅であって私自身の富ではない」(Dispatches and Letters...のp43)と判断してこれを追撃しなかった。漫画の中で「雑魚は無視だ」と言っているシーンがこれに相当するのだろう。ちなみにフリゲート艦を見つけたのがディフェンス号かどうかは分からないが、それを追跡しようとしてネルソンに呼び戻されたのはリアンダー号である。
 同じ22日、ボナパルトは遠征軍の各半旅団から、軍艦の守備に当たる兵と士官を派出せよとの命令を出している(Correspondance de Napoleon Ier, Tome Quatrieme"http://books.google.com/books?id=9lcuAAAAMAAJ" p178)。漫画の中に描かれている「陸兵に船の砲訓練をさせている」という部分は、この命令を反映したものかもしれない。ただ、ボナパルトが英国艦隊の接近を知ってこうした命令を出したかどうかは不明だ。
 Memoires pour Servir a l'Histoire de France sous Napoleon, Tome Deuxieme"http://books.google.com/books?id=q1ZbaEq0CmUC"のp167には「フランス艦隊が地中海における英国艦隊の存在に関する情報を最初に得たのは、ボナラ岬沖合にいた時だった」とあるが、このボナラ岬というのがよく分からない。カルボナラ岬ならサルディニア島南部にあるので、そこを通りかかった時に知っていたならマルタ到着以前から英国艦隊が近くにいることが分かっていた筈。もっともその後で、ナポリ付近に英国艦隊がいたとの情報を25日に得たと書いているので、マルタ島を出た段階では正確な場所は知らなかったと考えてもいいだろう。
 つまり22日の段階で、英国側もフランス側も、互いの正確な位置は分からないまま移動していたと見られる。そしてその日の夜、両軍は数リーグの距離ですれ違ったそうだ。漫画では霧の中だったため相手に気づかなかったように描かれているが、たとえ霧でも日中だったら発見できていたのではと主張する人はいる。
 ただ、22日夜の時点ですれ違ったことを裏付ける具体的史料は私が探した中では発見できなかった。例えばサヴァリーは回想録の中で確かに「夜間に我々は繰り返し右舷側に砲声を聞いた。我々の艦隊が放ったものではなかったため、我々は厳戒態勢を敷いた」(Memoires du Duc de Rovigo, Tome Premier"http://books.google.com/books?id=HZIFAAAAQAAJ" p51)と書いている。だが、その場所はクレタ島の海岸付近。22日の段階ではまだフランス艦隊はクレタ島に到着していないはずだ(彼らがクレタ島沿岸にたどり着いたのはマルタ出港の7日後、Guerre d'Orient, I. p124)。
 ミオーはMemoires pour servir a l'histoire des expeditions en Egypte et en Syrie"http://books.google.com/books?id=b09VI5vVdlQC"のp73で「地中海を渡っている最中に、我々の艦隊は2回警戒状態についた。おそらく英国艦の艦尾構造物が見えたためだろう」と記している。フランス側が英国艦隊の存在に気づいた可能性を窺わせる記述だが、何日に起きたことなのか具体的な日付は記していない。一方でブーリエンヌは22日に両艦隊が「6リューの距離ですれ違った」と記している(Memoires de M. de Bourrienne, Tome Second"http://books.google.com/books?id=nJAFAAAAQAAJ" p66)が、こちらは逆に英国艦隊の接近に気づいた描写が見当たらない。
 漫画ではブリュイ提督が「敵の号砲を聞き」と記しているが、これも論拠不明。英軍が奪ったフランス軍関連の文書の中に、ブリュイ提督が海軍大臣に宛てて書いた共和国暦6年収穫月21日(1798年7月9日)付の報告書があるのだが、そこには「戦列艦と輸送艦は全て(マルタ島を)収穫月1日(6月19日)に出港し、13日(7月1日)に我々はアレクサンドリア旧港の港外にたどり着きました」(Copies of Original Letters from the Army of General Bonaparte in Egypt, Part the First"http://books.google.com/books?id=2o9jAAAAMAAJ" p37)としか書かれていない。マルタ島からアレクサンドリアへ移動している間に英国艦隊の号砲を聞いたという話は、どこにも見当たらない。

 とまあ細かいところは色々とあるにせよ、全体としては史実に即したお話だった。ただし、それが読者にとって面白いのかと言われると、正直よく分からない。作者は編集からもっとフィクションに力を入れろ"http://mekauma.blog89.fc2.com/blog-entry-345.html"と言われたそうだ。

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