ナポレオン漫画最新号ではネルソンとダヴーが再登場。これでずっと単行本に掲載されてこなかったあの外伝「禿鬼」も無事に載ることになりそうだ。フェルニッヒ姉妹も心置きなく往生できることだろう。
新たな登場人物としてはまずセント=ヴィンセント伯(Earl of Saint Vincent)ことジョン・ジャーヴィス"http://en.wikipedia.org/wiki/John_Jervis,_1st_Earl_of_St_Vincent"がいる。丸っこい顔は漫画に描かれている通りだ。
それと絵描きのドゥノンことドミニク・ヴィヴァン=ドゥノン男爵"http://fr.wikipedia.org/wiki/Vivant_Denon"もいるが、こちらは漫画に描かれた「胡散臭い手品師」のような風貌とは少し違うようだ。彼が書いて1802年に出版したVoyage dans la basse et la haute Egypte(第一巻"http://books.google.com/books?id=dxMGAAAAQAAJ"と第二巻"http://books.google.com/books?id=ghMGAAAAQAAJ")については、前にピラミッドの戦いに関連して取り上げたことがある。
さらにクレベールとドゼーがようやく登場。ただ、クレベールはボナパルトより随分背が高いはず("http://www.diomedia.com/public/1019457/imageDetails.html"参照)なんだけどなあ。グールゴーによれば「彼[クレベール]はとても背の高い人物によくある欠点とよい性質をともに持ち合わせていた、と皇帝は返答した」(Talks of Napoleon at St. Helena with General Baron Gourgaud"http://www.archive.org/details/talksofnapoleona00gour" p73)そうだし。またドゼーが制服を着ていない件についてはラヴァレットの回想録第一巻("http://books.google.com/books?id=EotjAAAAMAAJ" p161)などに記されている。
さて今回はネルソンとナポレオンの追いかけっこというか隠れんぼというか、そういう話。これを史実と比較してみると、決して100%ではないもののそこそこ正確に描かれていることにびっくりする。
まず5月20日に嵐のためヴァンガード(ネルソンの旗艦)のマストが折られた点について。The Dispatches and Letters of Vice Admiral Lord Viscount Nelsonの第三巻"http://books.google.com/books?id=hlUBAAAAQAAJ"のp20によると、嵐に襲われたのは20日夜からだが、メイン・トップ・マストとミズン・マストが折れたのは日付が変わった21日午前1時半ごろ、さらに午前3時半にはフォア・マストが3つに砕けたという。ネルソンはサルディニア南西にあるセント=ピーター(サン=ピエトロ)島へいったん退避したことも説明している。この間にフランス軍はトゥーロンを出港するのに成功した。
見失ったフランス軍を追い求める際にフリゲート艦の不在が足を引っ張ったことは確かなようだ。ネルソンは何度も(Dispatches and Letters...のp40、42、48など)フリゲート艦の不在を嘆いている。ネルソンの部下だったエドワード・ベリー"http://en.wikipedia.org/wiki/Edward_Berry"は、艦隊の数が少なかったため密集する必要があったこと、及び探索に使えるフリゲート艦の不在と煙霧のせいで敵を見つけるのが困難だったことを記しているそうだ(The Pursuit of Victory"http://books.google.com/books?id=nK0jZa5h1ZQC"のp282-283)。
セント=ヴィンセントが送り込んできた増援の戦列艦と合流したのは6月7日(Dispatches and Letters...のxxxiii、p23)。それからイタリア西岸に沿って南下しながらネルソンはフランス艦隊に関する情報を捜し求めた。フランス軍がマルタ島にいるとの情報を得たのは17日、ナポリ湾でエマ・ハミルトンの夫である駐ナポリ大使ウィリアム・ハミルトン"http://en.wikipedia.org/wiki/William_Hamilton_(diplomat)"からの手紙を受け取った時だ。さらに20日、メッシナ海峡に差し掛かった時に、マルタ島が15日に陥落したとの情報も入った。
漫画の中でとぼけた船長から情報を得る場面が描かれていたが、実際にこの場面が生じたのは22日の朝である。前日にマルタ島からやって来た船(ジェノヴァあるいはラグーサの船と言われている)とネルソン艦隊所属のブリッグ艦Mutine"http://en.wikipedia.org/wiki/HMS_Mutine_(1797)"が情報交換を行った(Dispatches and Letters...のp39)。漫画のような至近距離ではなく、もう少し離れた場所から大声で会話したのではないかとの説もある(Paul Strathern"Napoleon in Egypt" p58)。この危なっかしい情報伝達方法が、間違いをもたらした可能性がある。フランス軍がマルタ島を出発したのは19日だった(Guerre d'Orient, I."http://books.google.com/books?id=TLsNAAAAIAAJ" p30)のに、ネルソンは「16日にフランス軍の全艦隊が出発した」(Dispatches and Letters...のp39)と思い込んだのだ。
フランス艦隊がどこに向かったか、ネルソンは部下の艦長たちのうち信頼できる者も交えて検討した。ナポリやシチリアはフランスとの関係がそれほど悪化していないので、彼らが攻めてくるとは思えない。マルタだけを攻め落とすにはフランス軍は大軍過ぎる。強い西風が吹いている時期だけに西方への遠征も考えにくい。もしコルフ島を目指しているなら、この時点(22日)にはもう到着しているだろう。他に考えられるのは、オスマン帝国政府を転覆させるためか、さもなくばエジプトの植民地化を狙った遠征である可能性だ。様々な可能性を検討したうえで、ネルソンはエジプトのアレクサンドリアへ向かうことを決断した。
長くなったので2回に分ける。
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