「将軍、やりました」
「どうした」
「敵の手紙を入手しました。おそらく貴重な情報が記されているものと思われます」
「よくやった。早速読んでみろ」
「…………」
「どうした、早く読め」
「す、すみません。読めません」
「なぜだ」
「どうやらドイツ語で書かれているようです。私、ドイツ語はちょっと…」
「ええい、仕方がない。他に誰がドイツ語を読めるやつはいないのか」
「…………」
「誰もいないの?」
こんな間の抜けたやり取りがナポレオン戦争時代に本当にあったらしい。George Armand Furseの"Marengo and Hohenlinden"によると、1800年6月2日に予備軍前衛部隊を率いるランヌ将軍がパヴィアを占拠した。彼はそこで2通の手紙を発見したが、部下にドイツ語を読めるものがいなかったので仕方なくその手紙をそのまま第一執政ボナパルトの司令部へ送りつけたそうだ。
同じ現象はミュラの部隊でも生じていた。ピアチェンツァを占領した時、彼はオーストリアの指揮官メラスが記した手紙を何通か入手したのだが、やはり読めるものがいなかったためそれを予備軍指揮官だったベルティエへ送ったという。ベルティエの手元にもまともに翻訳できる人材がいなかったため、結局のところボナパルトの司令部に到着するまで中身はよく分からないままだったという。
ボナパルトがほとんど何もないところから予備軍を作り上げた手際は見事だった。しかしながら、彼とてもやはり人間。あらゆる細部にまで目を光らせることはできなかった。各部隊に外国語を読める人材を満遍なく配置するところまでは気が回らなかったのだろう。当時のフランス軍内にはドイツ語の読めるアルザス出身者などが数多くいたはずなのだが。
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