歴史が見下ろすもの・1

「やがて巍然として天空に聳立する金字塔(ピラミッド)を煙雲飄渺の間に望見するや、馬を陣頭に驅り、凛然大呼して曰く、
『嗚呼、兵士よ。四千年の齢は彼の塔上より汝等を瞰下す。汝等何ぞ奮起せざるを得んや』
と」
近代デジタルライブラリー"http://kindai.ndl.go.jp/"「奈翁全伝第2巻」p379-380

 ナポレオンの台詞として(日本で)有名なものといえば、「余の辞書に不可能の文字はない」と並んで上記の「四千年の歴史が諸君を見下ろしている」というヤツがあげられるだろう。実際には「余の辞書に」云々の原文はImpossible n'est pas francaisだと言われており、だとすればどこにも「辞書」という文字はない。では、「四千年の歴史」の方はどうなのだろうか。
 日本語wikiquoteではナポレオンの台詞で真っ先に「兵士諸君、ピラミッドの頂から、四千年の歴史が諸君を見つめている」を紹介し、この台詞が「1798年7月21日、エジプト遠征に際して、ギザのピラミッドの前で」発せられたものだとしている。原文はSoldats, songez que du haut de ces pyramides, quarante siecles vous contemplentだそうだ。
 これで正解なら何の苦労もないのだが、もちろんそうはいかない。wikipediaに書かれている歴史関連の記述を信用すると拙いことは、これまでにも散々指摘してきた。当然ながら今回の件についても同じことが言える。予め言っておくなら、日本語wikiquoteに紹介されている原文も、その言葉が発せられた日付も、多分史実ではない。
 ただ、この件についてはwikipediaにも同情の余地はある。なぜならフランス政府の肝いりでまとめられた文献の中に、このwikiquoteを裏付けるような記述があるからだ。ナポレオン3世の命によって編集されたCorrespondance de Napoleon Ier, Tome Quatrieme"http://books.google.com/books?id=9lcuAAAAMAAJ"に、共和国暦6年熱月3日(1798年7月21日)のピラミッドの戦い前の発言として、以下のような文章が紹介されている。

「会戦の際に、ナポレオンは兵たちにピラミッドを指し示して言った。『兵士諸君、四十の世紀が諸君を見つめている』」
p240

 政府(といってもナポレオンの甥っ子が率いる政府だが)の公式編纂書簡集に書かれているのだからこれでOK、と考える人がいるのも仕方ない。しかし、それは歴史に向き合う態度としては決して褒められたものではないのだろう。所謂「正史」だけで中国の歴史を語ってしまうことがどれほど拙いかは、正史が政治的目的をもって取りまとめられたことを考えればすぐに分かる。同じことがナポレオンの書簡集についても言えるのだ。
 ナポレオンの書簡集を読む際に最も気をつけるべきなのは、書簡集に記されている「引用元」だ。ここにMemoiresとかSainte-Heleneなどの文字が出てきた場合、安易に信用してはならない。もちろんこの「四十の世紀」もセント=ヘレナでナポレオンが語った言葉だ。実際にはベルトランがまとめたGuerre d'Orient, I."http://books.google.com/books?id=TLsNAAAAIAAJ"のp160に全く同じ文章があるので、こちらがオリジナルだろう。
 他にグールゴーのMemoires pour Servir a l'Histoire de France sous Napoleon, Tome Deuxieme"http://books.google.com/books?id=q1ZbaEq0CmUC"のp239に「この会戦の開始時、ナポレオンはとても有名になった以下の言葉を兵士たちに送った:あのピラミッドから四十の世紀が諸君を見つめている」との文章がある。ナポレオンがセント=ヘレナで彼の随員に対してこの話を語っていたことが分かるだろう。

 では要するにこの言葉は(いつものように)セント=ヘレナのナポレオンがでっち上げたものだ、という結論でいいのだろうか。よくない。話はそう簡単にはいかないのだ。そのあたりをまとめているのがこちら"http://www.dicoperso.com/term/adb1aead5e60a9565b,,xhtml"のサイト。Roger Alexandreなる人物が1901年に記した"Les mots qui restent"なる本を電子化したもののようだ。これを参考にしながら、一体どこからこの言葉が生まれてきたのかを説明してみよう。
 セント=ヘレナ以前からこの台詞が存在していたことはAlexandreが最初に紹介しているPierre Dominique MartinのHistoire de l'expedition francaise en Egypte, Tome Premier"http://books.google.com/books?id=_x_fZTt0IAkC"を見れば分かる。1815年出版のこの本に、以下のようなフレーズがあるのだ。

「彼[ボナパルト]は急いで軍の閲兵を行い、そして戦場の彼をいつも特徴づけていた短く精力的な熱弁の中で、兵士たちの熱狂を限界まで高めた。
 彼はピラミッドを示しながら『フランス人よ、あの遺跡の頂から四十の世紀が諸君を見つめていることを思え』と言った」
p200

 セント=ヘレナに同行した人物の中にMartinの名を見た記憶はない。彼がセント=ヘレナにおけるナポレオンの発言を聞いてこの本を記したと考えるのは、出版年からしても難しいだろう。つまり、ピラミッドの戦いにおいてボナパルト将軍が「四十の世紀」云々という台詞を言ったとの話が語られるようになったのは、ナポレオンがセント=ヘレナに流される以前からの現象だったのである。
 google bookを調べるとそれを裏付ける古い例がさらに見つかる。例えば1810年出版のAnnales du musee"http://books.google.com/books?id=eD0GAAAAQAAJ"のp23には、グロの描いたピラミッドの戦いの絵"http://www.culture.gouv.fr/Wave/image/joconde/0015/m502004_83ee1192_p.jpg"に関する解説として「これは陛下が以下の言葉を発した時のものである:この遺跡の頂から、四十の世紀が我々を見つめている」と記されている。
 また1808年出版のL'honneur francais, Tome Premier"http://books.google.com/books?id=IrjDbmuL-xwC"のp19には、「歴史的事実」として「カイロから6リューのところにたどり着いた際に、司令官[ボナパルト]は23人のベイたちが60門の大砲に守られたエムバベの高地に全戦力を集結させたことを知った。彼はすぐに次のような偉大な考えによって兵士たちの勇気を高めた:このピラミッドの頂から四十の世紀が我々を見つめていることを思え」との文章がある。
 だが、より古い時期まで遡ると状況が変わる。この話がどうも怪しげになってくるのだ。長くなったのでそのあたりの話は次回に。

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