ナポレオンと元帥たち・23

 ナポレオンの元帥評。今回はフランスの歴史上でも6人しかいないMarechal general"http://en.wikipedia.org/wiki/Marshal_General_of_France"まで成り上がった男、スールトだ。デルダフィールドは彼をスーシェと並べて「スペインで名声を手に入れた」数少ない元帥の一人に位置づけている。実際には「戦略家としてスールトが名を挙げた」のは南仏での戦いだったと説明しているので、「スペイン」で名声を手に入れたというのはいささか微妙なところ。
 敵である英国人からやたらと高く評価されたためか、英国人O'Mearaとナポレオンの会話にもよくスールトの名が登場してくる。中でも他の将軍たちを評価する際の「基準値」としてスールトが使われるのが目立つ。

「将軍としては、モローはドゼー、あるいはクレベール、あるいはスールトと比較してすら、非常に劣っていた」
Napoleon en exile, Tome I."http://books.google.com/books?id=vHUuAAAAMAAJ" p258

「将軍として彼[ランヌ]はモローや、あるいはスールトより大幅に優れていた」
Napoleon en exile, Tome I."http://books.google.com/books?id=vHUuAAAAMAAJ" p260

「[スーシェ、クローゼル、ジェラールが現存する将軍の中で最も優秀だと述べたのに関連し]ナポレオンはスールトについても称賛の表現で言及した」
Napoleon en exile, Tome II."http://books.google.com/books?id=LnYuAAAAMAAJ" p74

 英国人デルダフィールドがスールトについて「周到かつ目の利く略奪者」と述べた点についても、同意するような発言をしている。

「もしスールトにもっと才能があれば、彼はカディスを奪っていただろう。また彼はかの地で財産を増やしたようだが、それは大きな損傷をもたらした」
Cahiers de Sainte-Helene: journal 1816-1817"http://books.google.com/books?id=cqs7AAAAMAAJ" p149

 もっともデルダフィールドの「参謀部向きの人材ではなかった」との評価に対しては、むしろ逆の見解を示している。

「彼[スールト]は戦時の大臣として、あるいは軍の参謀長として卓越していた。彼は司令官として活動することよりも、軍隊の配置の仕方の方をよく知っていた」
Napoleon en exile, Tome I."http://books.google.com/books?id=vHUuAAAAMAAJ" p142-143

「スールトは司令官の下に仕える以外に何の役にも立たなかった」
Talk of Napoleon at St. Helena"http://www.archive.org/details/talkofnapoleonat007678mbp" p201

 もちろん、ワーテルローのスールトについては「ベルティエの方がいい仕事をしてくれたに違いない」(Talk of Napoleon at St. Helena"http://www.archive.org/details/talkofnapoleonat007678mbp" p187)と批判しているが、一方で「スールトはいい幕僚を抱えていなかった。私の当直将校は若すぎた」(Talk of Napoleon at St. Helena"http://www.archive.org/details/talkofnapoleonat007678mbp" p189)と庇うような発言もしている。皇帝はスールトを「参謀部向きではない」とは考えていなかったようだ。

 面白いのはスールト夫人に関する話。ナポレオンの言を信じるのなら、実はスールトは女房の尻に敷かれていたことになる。

「スールトもまた欠点と長所を持っていた。南フランスにおける彼の全戦役は立派に実行された。その振る舞いや態度が高慢な性格を示していたこの人物が、実は恐妻家であった点が信じられることはほとんどないだろう。(中略)彼は私が望んでいること[スペインへの派遣]を実行する準備はできているが、おそらく妻から非難されるから、私から妻に話してほしいと懇願した」
Memorial de Sainte-Helene, Tome Troisieme"http://books.google.com/books?id=rnAuAAAAMAAJ" p280

「スールトは極めて野心家であり、そして彼の妻がそれを主導していた」
Sainte-Helene, Tome Second"http://www.archive.org/details/saintehelene02gourmiss" p85

 結局のところ、ナポレオンのスールトに対する評価はセント=ヘレナで彼を取り囲んでいた英国人たちより低かったと考えていいだろう。ナポレオンによる最も痛烈なスールト評は「彼は決して偉大なことを成し遂げなかった。彼の助言は信頼に値したが、実行においてはお粗末だった」(Sainte-Helene, Tome Second"http://www.archive.org/details/saintehelene02gourmiss" p424)というものだ。言うは易く行うは難し。何よりも実践の天才であったナポレオンはそのことをよく理解していたし、実行できない部下に対する評価が厳しくなるのは当然だろう。
 スールトが実行面に課題を抱えていた口先男だったのではないか、という点はPaddy Griffithも指摘している。Griffithによれば、ジェノヴァで重傷を負った1800年より後、スールトは決して最前線に出ようとしなくなったという。アウステルリッツでスールトの第4軍団が前進を始めた時、「スールトの姿はどこにも見られなかった」(ed. David Chandler "Napoleon's Marshals" p466)。ポーランドやスペインで彼の軍団が戦場で中途半端な活動に終始したのも、司令官が自ら最前線で指揮を執らなかったためではないかとGriffithは述べている。
 もし彼の指摘が事実なら、デルダフィールドの書いた「誰のことを指すにしても、絶対に使われてこなかった言葉」が、実はスールトには当てはまるかもしれない。「臆病者」という言葉が。

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