敬礼!(その5)

 承前。ナポレオン時代の挙手の礼に関する史料は前回紹介した回想録関連だけでもかなりの数に上る。加えて、ナポレオンが政権を握っていた1815年以前に出版された本の中にも、挙手の礼に関する記述が存在する。1814年出版の以下の本ではエジプト遠征時の話が紹介されている。

「驚いたロワズは、この命令が布陣している彼ら[部下の騎兵隊]を驚愕させることになると3回繰り返した。彼は司令官の経験不足を補おうと望み、そうした機動が無用であることを彼に説明した。しかしムヌー将軍は[命令を実行するよう]しつこく主張した。ロワズは左手を帽子に押しつけ、誇り高く騎兵部隊に向き直り、彼らに叫んだ。『竜騎兵よ、死に向かって前進』」
Memoires pour servir a l'histoire des expeditions en Egypte et en Syrie"http://books.google.com/books?id=gO4OAAAAYAAJ" p378

 1810年に出版された以下の本では、ナポレオン戦争を題材とした絵画に関する記述が載っており、その絵画に挙手の礼が描かれていることが分かる。

「ブレ氏はリビングに展示している1806年製の絵画を公開した。それは参謀に囲まれた皇帝が何人かの負傷したオーストリア兵の姿を見て、馬を止め、手を帽子に置いている場面を描いたものである」
Rapports du Jury"http://books.google.com/books?id=cZEFAAAAQAAJ" p23

 1805年の本では、街中でカトリックの儀式に遭遇した際に軍人が取るべき礼儀作法を紹介しているが、そこでも挙手の礼のような動作に触れている。

「歩哨もしくは駐屯地の視界内をカトリックの儀式が通り過ぎる際には、下士官と兵士は武器を取り、捧げ銃を行い、右膝を地面につき、頭を下げ、右手を帽子(シャコー)に持っていくが、帽子は脱がずにおく。(中略)士官は兵士たちの戦闘に位置し、剣による敬礼を行い、左手を帽子に持って行くが、帽子は脱がない」
Ceremonial de l'empire francais"http://books.google.com/books?id=qVcUAAAAYAAJ" p365

 そして、以下の本には槍(スポントゥーン)を使った敬礼の手法について説明している中に、やはり挙手の礼が出てくる。

「4番目の動作として、右足を左足に並べ、同時に上記のように槍を肩に乗せ、それから左手を帽子まで持っていき、通過している間に挨拶を送る」
Dictionnaire militaire"http://books.google.com/books?id=4qMUAAAAQAAJ" p464-465

 驚くべきことにこの本の出版は1743年。フランス革命の半世紀以上前だ。上の記録で王党派の間でも挙手の礼が使われていたことが分かるが、挙手の礼の起源が革命以前まで遡るのであればエミグレなどが挙手の礼を知っていても不思議はない。

 挙手の礼の存在を示す史料は、探せば探すほど出てくる。上に示した事例の全てが現在の挙手の礼と寸分違わず同じだと断言することはできないが、その大半は挙手の礼と見なして問題ないだろう。つまり、「ナポレオン戦争期に挙手の礼はあった」のだ。もしなかったと主張したいのならば、少なくとも上に記した史料の全てについてその記述が間違っていることを示す具体的証拠を一つ一つ示すことが必要になる。
 むしろ今後は、この時代に挙手の礼がどのような局面で使われたかを調べる方が有意義だろう。Bardinはそのマニュアルの中で挙手の礼について以下のように述べている。

「我々が内部の敬礼と呼ぶ他の種類の敬礼がある。それは階級的礼儀を公に表明することと、予め決められた形での挨拶を送ることから成り立っている。1788年の見事な規定は、これらについて役立つ詳細を定め損ねてはいない。1788年7月1日の規則を写した我々の警察規則は軍事的礼節に関する規則について沈黙しているが、既存のものに取って代わるものではない。以下はこれらの規則に関する要旨である。
 将官あるいは連隊佐官が、座っているか立っている軍曹、伍長及び兵士の傍を通りかかる際には、彼らは最初のケースにおいては、立ち上がって担え銃の姿勢を取り、下士官は帽子を取り(註)、兵士は手を帽子まで挙げる。後者のケースにおいては彼らは上官を向いて挨拶をする。
 部下が行軍中に静止した上官の前を通りかかる際には、下士官は帽子を取って(註)挨拶し、伍長と兵士は平手を帽子まで挙げる。
 部下が武器を持ち、隊列を組まずに行軍する際には、下士官は通常、武器を右側に持つ。兵士は担え銃をする。彼らが将官、当該地の指揮官、連隊佐官、あるいは彼らの中隊の指揮官から呼ばれた際には捧げ銃の姿勢を取る。
 武器を持たずに行軍中の全伍長と兵士が、将官、連隊佐官、及び彼らの中隊の大尉に対し挨拶する際には、手を帽子まで挙げることなく足を止めて上官を向き挨拶する。他の階級の上官に挨拶する際には、止まることなく挨拶を送る相手の反対側の平手を帽子の側面まで挙げる。
 下士官が将官、佐官及び彼らの中隊の大尉に挨拶する際には、足を止め、頭も体も下げることなく、帽子を取ってそれを体の右側に持つ。他の階級の上官に挨拶する際には、止まることなく同じ行動を取る(註)。
 将官、佐官あるいは他の上官が下士官か兵士を呼ぶ際には、後者は上官から2、3歩の距離まで急いで進む。下士官であればそこで帽子を取り(註)、兵士であれば手を帽子まで挙げ、士官が話し終わるまでその姿勢を維持する。
 上官が立っており部下がその傍を通る際には、下士官は帽子を取り(註)、兵士は反対側の平手を帽子まで挙げて挨拶する。
 士官は相互に挨拶を行う。上官は部下に対し常に正しい敬礼をしなければならない。
 士官は挨拶を送ってきた下士官に対しては帽子を取り、兵士に対しては手を帽子まで挙げる。
 将官、佐官あるいは中隊指揮官が兵舎に入る際には、兵士は立ち上がり、彼らのベッドの足元に位置取り、上官が「休め」と言うまでその右手を帽子まで挙げる。他の士官の場合、彼らはその場で手を挙げる。
 (註)現在は下士官も兵士同様にシャコーを被っているため、両者とも爪を空中に、手のひらを前に向けて、手をシャコーまで挙げる」
22e demi-brigade d'infanterie de ligne, Honneurs"http://www.demi-brigade.org/honneufr.htm"

 Bardinの指摘が正しいなら、フランス革命が始まる直前の時期において挙手の礼をしていたのは兵士とそれに答礼する士官だけだったということになる。下士官は当初、帽子を脱いで敬礼していたが、後に彼らもシャコーを被るようになってから挙手の礼に切り替えた。
 ただ、先に紹介した様々な回想録などを見ると、実際にはナポレオン戦争時代において士官が自分より上の階級の者に向かって挙手の礼をする場面も多く描かれている。このあたりはBardinのマニュアルを読んだだけでは実情がよく分からないところ。挙手の礼が軍隊内で使われ始めた具体的な時期なども含め、まだ解明されていない点は残されている。

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