ナポレオンの元帥評。今回は全元帥中、地味さではトップクラスのモンスイである。彼が活躍した戦場の名を上げよと言われて、即答できる人はほとんどいるまい。もちろん彼もこの時代の他の元帥たち同様、戦の現場において成り上がり、遂には元帥杖まで手に入れた人物ではある。だが、デルダフィールドはモンスイの戦功について「失態に終わった数度の戦い」と冷たく言い放っている。
モンスイはどこで戦ったのか。革命戦争初期には西部ピレネー軍で戦った。1800年戦役の際には第一執政率いる予備軍の最左翼に展開したが、場所が遠すぎたためマレンゴの戦場にはいなかった。半島戦争にも参加したが、サラゴサを目前に手をこまねいていたことはデルダフィールドの記した通りだ。そして1814年戦役では、モンマルトルの丘でパリに迫った連合軍を相手に最後の戦いを行った。残念ながら、華々しい成功と言えるのは最初の西部ピレネー軍での戦歴だけだ。
ナポレオンは1800年戦役のモンスイについて以下のように述べている。
「モンスイ将軍率いる1万5000人はゆっくりとやって来た。彼らは連隊ごとにしか行軍しなかった。この遅れは有害だった」
Memoires pour servir a l'histoire de France sous Napoleon, Tome Premier"http://books.google.com/books?id=ZwYBAAAAYAAJ" p275
皇帝もモンスイの軍事能力には不満を抱いていたようだが、他にも軍事面では微妙に冴えなかった元帥は大勢いるので、別にモンスイだけが特異な訳ではない。
そんなモンスイだが、デルダフィールドは彼がネイの助命を嘆願した点に焦点を当てることでこの人物を描き出そうとしている。モンスイの最大の特徴はその能力ではなく人格にある。そして、彼の人格についてはナポレオンも太鼓判を押している。
「モンスイは誠実な人物だ」
Memorial de Sainte-Helene, Tome Troisieme"http://books.google.com/books?id=rnAuAAAAMAAJ" p280
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