ナポレオンと元帥たち・15

 ナポレオンの元帥評。今回は「ナポレオンに次ぐ能力を持った第一級の元帥」「戦場では完璧だった」とデルダフィールド本で絶賛されているマセナだ。実際、ナポレオンの元帥たちを並べた時に、実績という面で彼は他から大きく抜きん出ている。若い頃のボナパルトも彼について「マセナ:活動的、不屈、大胆さと戦況を見る力と決断の敏速さを持ち合わせている」(Correspondance de Napoleon Ier, Tome Premier"http://books.google.com/books?id=uFYuAAAAMAAJ" p549)とべた褒めしている。
 ただ、長い年月を経た後のセント=ヘレナでは、ナポレオンはマセナを評価する際に必ず前置きをするようになった。

「マセナは並外れた勇気と堅固さを授けられており、特に過度の危機の際にそれが増すようだった。敗北した時、彼はいつでも、あたかも勝者であるかのように再び戦う用意ができていた」
Memorial de Sainte-Helene, Tome Premier"http://books.google.com/books?id=K28uAAAAMAAJ" p363-364

「マセナはとても優れた人物であり、そして、その性格の奇妙な特質のため、彼は必要な落ち着きを戦いの真っ最中にのみ得ることができた。その性格は危険の最中から生み出された」
Memorial de Sainte-Helene, Tome Second"http://books.google.com/books?id=zW8uAAAAMAAJ" p20

「マセナは優れた人物だった。しかし彼は大抵、戦闘の前に拙い配置を行った。そして死が彼に降りかかり始めるまで、もっと前の段階から示すべきだった正確な判断に基づいた行動を始めることはなかった。死にかけた者と死んだ者たちの真ん中で、砲弾が彼を取り囲む者を吹き飛ばしている中で、マセナは彼自身となった。偉大な冷静さと判断力を示しながら、命令を下し部隊を配置した。これが彼の高貴さだった。マセナは戦闘が彼にとって逆境になるまで決して正しい判断に基づいて行動しようとしなかった、と言われているのは真実だ」
Napoleon en exile, Tome I."http://books.google.com/books?id=vHUuAAAAMAAJ" p260

 マセナは確かに優秀だったが、その有能さが発揮されるのは窮地に陥った場面だけ。それがナポレオンの評価である。
 マセナの晩年の衰えについてもナポレオンは認識していた。グールゴーを前にポルトガル戦役におけるマセナの行動を批判した際に、皇帝は「マセナは戦場では勇敢だが、将軍としてはお粗末だ」(Sainte-Helene, Tome Second"http://www.archive.org/details/saintehelene02gourmiss" p258)とまで言っている。デルダフィールドはポルトガルのマセナについて「年のせいで覇気がなくなった」と説明しているが、ナポレオンがあげた理由は以下のようなものである。

「マセナはかつてフランスでもトップの将軍だった。(中略)彼は胸に病気をもっており、そのため以前とはすっかり変わってしまった」
Napoleon en exile, Tome II."http://books.google.com/books?id=LnYuAAAAMAAJ" p73

「マセナはポルトガル戦役で自らを見失っていたが、それは馬上にいることも、もしくは何が起きているか自ら確認することもできないほど悪かった彼の健康状態に起因していると考える。他人の目で物事を見る将軍は、決して本来あるべき形で指揮を執ることはできない。マセナはあまりに体調が悪かったので他者の報告を信じることを余儀なくされ、結果としていくつかの仕事をしくじった」
Napoleon in Exile, Vol. II."http://books.google.com/books?id=VHcRAAAAYAAJ" p217

 最後に衰えたとはいえ軍人としての才能は優れていたマセナだが、他の面で大きな問題を抱えていたことは良く知られている。デルダフィールド曰く、マセナは「現金こそが重大事」と思い「財布に執着」する人物だった。このことはナポレオンも指摘している。

「マセナは極めて浅ましい貪欲さで知られていた」
Memorial de Sainte-Helene, Tome Troisieme"http://books.google.com/books?id=rnAuAAAAMAAJ" p279

「しかし、彼はまた泥棒でもあった。彼は契約商人や軍の兵站担当者と儲けを折半した。私はしばしば、もし横領を止めるなら80万から100万フランを贈呈しようと彼に伝えた。しかし彼にとってそれは習慣となっており、金に手をつけずにいられることができなかった。このような訳で彼は兵たちには憎まれており、彼らは3、4回、彼に対して反乱を起こした。しかし、当時の状況を考えるなら、彼は貴重な人物だった。そしてもし彼の輝かしい部分が貪欲という悪徳によって汚されていなければ、彼は偉大な人物になったであろう」
Napoleon en exile, Tome I."http://books.google.com/books?id=vHUuAAAAMAAJ" p260

 デルダフィールドはマセナが「称号ではなく、称号にくっついてくる収入」に関心を持っていたと記している。それを裏付けるような挿話がGuillaume Honore Rocques de MontgaillardのHistoire de France, depuis la fin du regne de Louis XVI jusqu'a l'annee 1825に載っている。

「[ナポレオンがマセナにエスリンク公の称号を与えるとウジェーヌから聞いた時]マセナは大して満足した様子は見せず、『なぜ私を公にしたのかね? 公になれば何か利益があるのか? もしそうでないなら、公の称号などどうでもいい!』 称号に40万から50万フランの扶持が付いてくると聞いた彼は『素晴らしい! ただし私はこれからもマセナとサインするつもりだ! これこそ私にとって最高の称号だからだ。もしナポレオンが他の元帥たち同様、大貴族らしい外見をするよう命じるのなら、それに従うつもりはない』」
Histoire de France, depuis la fin du regne de Louis XVI jusqu'a l'annee 1825"http://books.google.com/books?id=YzA2AAAAMAAJ" p428

 もっともナポレオンは少し違うことを言っている。

「マセナは私が決して同水準のものを見たことがない大胆な自信と素早い思考の持ち主だった。しかし彼は栄光に対して貪欲であり、自らに値すると考える称賛はいくらでも欲した」
Derniers momens de Napoleon, Tome I."http://books.google.com/books?id=Z3guAAAAMAAJ" p278

 マセナにとって大切だったのは金(と女)だけだったのか。それとも称号や称賛もまた重要だったのか。正確なところはよく分からない。

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