飛び道具とは卑怯なり

 アルフレッド・W・クロスビーの「飛び道具の人類史」読了。題名は飛び道具となっているが英語ではThrowing Fireとなっており、話の内容も正確に言えば飛び道具及び火の両方がテーマだ。ものを投げること、そして火を操ることが、人類の文明をここまで導いてきたという分析である。
 飛び道具に関しては、「アナバシス」や「ガリア戦記」を元に昔から戦争で広く使われていたのではないかと指摘してきた。クロスビーはより飛び道具の位置を重視し、地上に降りたサルがサバンナで生きる猛獣たちを相手に生き残るだけでなく(繁殖面で)大成功を収めた要因をそこに求めている。ものを投げることこそ人類が世界を支配した最大の理由だというのだ。
 確かに、人類以外にこれだけ器用にものを投げられる生物はいない。チンパンジーも投げることはできるが、多くの場合アンダースローだという。ヒトはオーバースローで遠距離まで勢いをもって物体を投じることができるし、道具を使うことでさらに投げる物体の破壊力を増すこともできる。一例が石器時代のカラシニコフと言われる投槍器(アトゥラトゥル)で、大航海時代のスペイン軍も南米現地人の投槍器で甲冑を貫かれたとか。
 人類がアメリカやオーストリア大陸に進出したのと歩調を合わせるように両大陸の大型哺乳類が大量絶滅しているのも、こうした破壊力のある飛び道具の影響が大きかったというのがクロスビーの指摘だ。同じことはジャレド・ダイアモンドも主張しており、さらにダイアモンドは人類の存在に慣れていた大型哺乳類がいた大陸(ユーラシア)で生き残った哺乳類の一部が家畜となり、それが各大陸の文明発展に影響したと見ている。
 ダイアモンドが各大陸間の差に着目したのに対し、クロスビーは人類が地球を支配した要因の分析に重点を置いたということだろう。クロスビーが人類による地球支配のもう一つの要因としてあげているのが火の使用。彼は火を使って人類が地球を「テラフォームした」とまで言っている。飛び道具と火。それが人類の歴史を彩っていく。
 その後に描かれる話は、基本的に軍事技術の発展史だ。飛び道具と火で他の生物を圧倒したヒトは、今度は同族を圧倒するためにより強力な飛び道具と火を求めるようになった。弓矢しかり。クセノポンのギリシア軍が頼ったスリングしかり。クロスボウ、機械式投石器、ギリシア火。そして、現代に至るまで大きな影響を及ぼしている火薬の発明。人類が放り投げる火の威力は次々と増していく。
 20世紀になるとロケットの改良により人類はとうとう重力の軛さえ逃れ、原子力の活用でケタ違いのエネルギーを自然から取り出す力を持った。かつて投槍器で槍を投げ、しとめた大型哺乳類を火で調理していたヒトという生き物はここまでたどり着いたというのがオチだ。
 この本のキモはアトゥラトゥルと火で人類が大型哺乳類を駆逐したという部分までだろう。なぜヒトが地球を支配し得たのかについての説明こそ、もっとも面白く読める部分である。それより後のところはどちらかというと誰もが了解している事実の再確認にすぎない(織田信長が三段撃ちをやったという誤った認識も再確認させられるが)。通史を描くという目的のため、敢えて分かり切ったところまで書いたのだろう。
 同じ著者はスペイン風邪のパンデミックに関する本や「数量化革命」なる本も書いている。いずれも個人的には興味のあるところ。時間があれば読んでみようか。

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