ナポレオンと元帥たち・10

 ナポレオンの元帥評。今回はケレルマン。前回、フランス革命戦争期に活躍した将軍たちはナポレオン戦争期に目立った将軍たちに比べて知名度が低い、という話をした。が、物事には例外がつきものである。ナポレオン戦争期には実質引退状態。革命戦争期はまだ前線指揮官を務めていたが、大した活躍はしていない。それなのになぜが知名度だけは抜群の人物がいる。ケレルマンだ。
 ヴァルミーの丘でプロイセン軍の砲撃に晒された部下たちを鼓舞した。彼が歴史に名を残すためにやったことは、ほぼこれだけに尽きる。同じような、あるいはもっと厳しい局面で兵士たちを再編し戦いを続けさせた将軍は他にも大勢いただろう。そもそもケレルマンの部隊をヴァルミーの丘に配置させたのはデュムリエであり、勝利をお膳立てしたのもケレルマンではなく彼だ。そして、革命戦争期にヴァルミーよりも華々しく明確な勝利を獲得した将軍たちは他にも多数存在した。
 にもかかわらず、歴史に名を残すだけの高い知名度を得たのはケレルマンだった。いくつかの偶然が作用した結果である。デュムリエは後に連合軍へと寝返り、革命戦争の英雄になる機会を失った。他の将軍たちの実績はボナパルトの超人的活躍の陰に隠れてしまった。唯一、革命軍の最初の勝利であるヴァルミーだけは知名度を保ち、それをゲーテが後押しした。かくして歴史の教科書にヴァルミーの名が載るようになり、ケレルマンの名は実績を大きく上回る水準まで高められた。
 ケレルマンが独立した前線部隊を指揮したのは1792年から97年まで。ただし、実質的な期間はもっと短い。92年のヴァルミー戦役の時期はデュムリエの麾下にいたし、93年10月から95年3月までは元貴族という理由で指揮権を奪われていた。そして96年春にピエモンテが単独講和を結んだ後、ケレルマンが率いたアルプス方面軍はもはや前線部隊ではなくなっている。
 数少ない前線部隊の指揮において彼がやったのは、93年のリヨン包囲戦とサヴォイを巡るピエモンテ軍との戦闘、そして95年のイタリア戦線における連合軍との戦闘くらいである。このうち93年の戦闘ではそれなりに成果を上げたが、95年は連合軍の反撃を受けてリヴィエラからの退却を強いられている。以上がケレルマンのほぼ全実績であり、それに対してナポレオンは厳しい見解を述べている。

「この将軍[ケレルマン]は個人的には勇敢だったが、司令官に必要な才能は全く持たず下手な部隊配置ばかりをした」
Memoires pour servir a l'histoire de France sous Napoleon, Tome I."http://books.google.com/books?id=VR02AAAAMAAJ p48

 むしろケレルマンの最大の功績は、その息子が極めて有能な騎兵指揮官になったことかもしれない。彼の名声には「子の七光り」の部分もありそうだ。

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コメント

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ponyo0718
はじめまして★
つぃこの前一人暮らしはじめました★名前は『ノゾミ』って言ぃます!

あなたのブログ見つけて、それでプロフィール見て気になったし、
あたしからメッセ送ってみました^^v

もし迷惑じゃなければ色々話してみたぃな^^
それに会ってみるのも大丈夫だし^^

どうかな?別にこんなんで軽蔑とかしなぃよね???
さすがに掲示板に電話番号載せる訳にはいかないので
こっちのコミュに書いておくね。無料だから確認してみて欲しぃです。
ここね→ h ttp://room_s.mooo.com/pc00/ モバイル
h ttp://room_s.mooo.com/cas/?pc00 PC
いちおうあたしのケータイはソフバンです。

いたずらとかだったら面倒は避けるでしょう…と思ってここに
書いておぃたんだけど、大丈夫かな?

普通に写真有りで、ノゾミ★って検索したら今のところすぐに出てくるから★
感想と、ひと言をくださぃね。メール待ってます。
今日はずっと時間あるし、なるべく早く返事くれると嬉しいです。

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desaixjp
これはある意味笑える業者コメントなので、晒し者にする意味で残しておこう。当blogのプロフィールを見て「気になった」ってことは、男なら何でもいいってことになる(プロフィールには男性という情報しか載せていない)。こんなことを書き込む生身の女がこの世に存在する訳がないだろう。頭の悪い業者だ。

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RAPTORNIS
確かに笑えますね。

それはさておき、ケレルマン元帥が「子の七光り」というのは当を得ていると思います。ぼくが「ワーテルローだけの男」ということもあるのでしょうが、どうしても息子に比べて父親の影が薄い印象があります。ときどき、元帥府に列せられたのは息子のほうではないかという錯覚すら感じられます。息子はカトル・ブラでネイ元帥から無謀な命令を下されているので、辛うじて元帥の地位ではないことがわかるのですが。

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desaixjp
ナポレオン戦争期は父親より息子の方が現役バリバリでしたからね。おまけにその息子がこちら"http://www.napoleon-series.org/research/commanders/c_twenty.html"でフランス騎兵指揮官ランキング第3位に選ばれるくらい優秀なのですから、父親より印象が強くても当たり前です。出藍の誉れってやつですか。
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