君の名は

 エジプトの歴史家にアブド・アル=ラーマーン・アル=ジャバーティーという人物がいる。18世紀後半から19世紀初頭に生きていた彼は、ナポレオンのエジプト遠征を現地で経験した人間であり、その時代を含めた歴史書も記した。全世界の各地で生じた西洋近代文化と現地伝統文化との衝突の一例として、英訳本も出版されている。
 そうしたまじめな目的で読めば色々と参考になるのだろうが、単なる趣味で読む場合はやはり異なる文明に所属する人間同士が抱く偏見とか勘違いを面白がるのが一番だろう。中でも笑えたのは、エジプトへ侵攻してきたフランス軍の指揮官に関するアル=ジャバーティーの説明だ。

「『ボナパルテ』に関して言えば、これは彼らの将軍の称号であり、名前ではない。その意味は『喜ばしき集い』である。『ボナ』は『喜び』という意味で、『パルテ』は『集まり』という意味だからである」
"Napoleon in Egypt" p29

 何でやねん、と思わず言いたくなる記述だ。いったいどこをどう勘違いしたらこんな認識になるのであろうか。
 確かに、こちらのサイト"http://french.about.com/library/bl-collins-fe.htm"によればフランス語のbonは英語のgoodとかfairの意味があるし、partiは英語のparty(政党)と翻訳することもできる。それを無理に読み直せば「喜ばしき集い」と言えなくもない、かもしれない。
 しかし、ボナパルトは称号ではなく人名だ。そもそもフランス風に変更する前はブオナパルテだったわけだし、フランス人自身聞きなれない名前だったので政府公報に"Buona Parte"と記したことすらあったほど。もちろん喜ばしき集いなどという意味で呼ばれていたわけがない。
 なぜアル=ジャバーティーがこんなことを書いたのか、その理由はわからない。少なくとも日本の場合、ナポレオンの弟について阿蘭陀風説書で「フランス國王之弟ロウデウヱイキ・ナアポウリユムと申者」と記しているし、同盟諸候〔ワ-トルロ-〕野戦記でも「ナポレオンボナパルテ」(人名)と書いているように、人名と称号を混同するようなことはなかった。
 フランス語の翻訳に当たった人間が出鱈目を吹聴したのか、それともアル=ジャバーティーが中途半端なフランス語知識で変な解釈をしてしまったのか、そのあたりは分からない。ただ、文化の違うもの同士が理解しあうのは難しいことだけは分かる。正直、日本人の場合でも彼を笑えないような勘違いをしている事例はあるだろう。もって他山の石とすべき、ということか。

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