ナポレオンと元帥たち・3

 ナポレオンによる元帥評、今回はベルティエだ。

 小説家は面白い物語を提供するのが仕事であり、彼らはそのための技術を持っている。たとえば「針小棒大」。昔から法螺話というのは人気のあるジャンルであり、その手法は近代の小説家たちにとっても必携のものと言えるだろう。広告なら「大げさ」というのは批判されるが、小説においては一種の褒め言葉である。もちろん、小説家兼脚本家であるデルダフィールドもこの手は知っており、ベルティエを描く際にこの技術を存分に活用していた。
 デルダフィールドによればベルティエは「参謀としては優秀だが実戦では一分隊すら指揮できない」ことになる。でも、この時代に分隊(squad)という概念はおそらくまだ存在していない。peloton(現代フランス語では分隊の上部組織である小隊の意味)という言葉はあったが、ナポレオン戦争時代のpelotonは現代の小隊とは使われ方が全然違う。実際、ナポレオンは似たようなことを言うのに以下のような表現を採用している。

「自然は何人かの男を絶えず従属的な立場にとどまらせる目的で作り上げる。ベルティエがそうだ。世界にこれほどよい参謀長はいない。しかし立場を変えると、彼は500人の部隊を指揮するのにもふさわしくない」
Napoleon en exile, Tome I"http://books.google.com/books?id=vHUuAAAAMAAJ" p398-399

 ナポレオンの言う「500人の部隊」はこの時代ではほぼ大隊(bataillon)規模。戦場での最も基本的な戦闘単位である(昔の文献を見れば、各部隊がいくつの大隊から構成されているかを書いている事例が多数ある)。戦術が問われる最小の戦闘単位とも言うべきbataillonですら指揮できない、という表現は、当時の人にとっては分かりやすかっただろう。それをデルダフィールドは20世紀の感覚で大げさに「分隊」と表現したのである。
(ちなみに軍事用語に詳しくない人のために言っておくと、現代の陸軍における分隊は10人前後の小部隊。小隊は30-50人規模となる)
 デルダフィールドによって前線指揮官としての無能ぶりを過剰に強調されてしまったベルティエだが、基本的にその評価はナポレオンが抱いていたものと同じである。ナポレオンは参謀業務におけるベルティエの優秀さを褒め称える一方、それ以外の分野ではどうしようもなかったと厳しいことを言っている。

「これ[昼夜問わず皇帝の命令を正確に送り出したこと]がベルティエの特殊な長所だ。それは私にとって最も有益なものだった。他のどんな才能であってもこれの欠如を埋め合わせることはできなかっただろう」
Memorial de Sainte-Helene, Tome Premier"http://books.google.com/books?id=5HEuAAAAMAAJ" p439

「本当のことを言うとベルティエは才能がない訳ではないし、彼の長所や彼に対する私の偏愛を否定するつもりは全くない。しかし彼の才能や長所は特殊で専門的なものだ。限界を超えたところでは彼はどんな精神的強さも持ち合わせていなかったし、そして彼はとても優柔不断だった」
Memorial de Sainte-Helene, Tome Premier"http://books.google.com/books?id=5HEuAAAAMAAJ" p438

 また、オージュローやベルナドットに対してすら使わなかった言葉も浴びせている。

「私はただのガチョウだったベルティエを鷲の一種に変えたが、その彼に裏切られた」
Memorial de Sainte-Helene, Tome Second"http://books.google.com/books?id=zW8uAAAAMAAJ" p434

 もっとも、ナポレオンがどういう基準で「裏切り」(trahi)という言葉を使っているのかはよく分からない。フランス軍を率いて連合軍に投降したマルモンや、ナポリ軍を率いてウジェーヌに攻撃をしかけたミュラが「裏切り者」と呼ばれるのは分からないでもないのだが、ベルティエについてはどの行為が「裏切り」にあたるのだろう。
 いずれにせよ、ナポレオンの評価はデルダフィールドと基本線は同じ。でも、それはセント=ヘレナのナポレオンによる評価である。その時より20年前、若きボナパルト将軍による参謀長への評価は随分と異なるものだった。

「ベルティエ:才能、活力、勇気、個性。あらゆるものを持ち合わせている」
Correspondance de Napoleon Ier, Tome Premier"http://books.google.com/books?id=uFYuAAAAMAAJ" p549

「中でも忘れてはならないのは大胆なベルティエで、この日の彼は砲兵でありかつ騎兵、擲弾兵でもありました」
Correspondance de Napoleon Ier, Tome Premier"http://books.google.com/books?id=uFYuAAAAMAAJ" p261

 若き日のボナパルトにとって、参謀長はまるで後のマルモンとミュラとランヌを合わせたような活躍をする人物だった。なのに、晩年のナポレオンから見たベルティエは参謀業務しかできない専門バカになっている。なぜか。ナポレオンが「裏切り」に対する恨みから敢えて誹謗中傷しているとは思えない。ベルナドットに対してすらあれだけ客観的なことが言えた人物である。となると考えられるのは一つ。つまり、ベルティエ自身が若い頃と変わってしまったのではないだろうか。
 ナポレオンの参謀長としてのベルティエは、参謀業務だけに特化して仕事をこなした。本当は他の軍務をこなせるだけの能力があったのかもしれないが、彼に求められたのは参謀業務だけだったし彼もそれ以外の軍務に携わろうとしなかった。使われない能力は存在しないも同じだし、使わないうちに能力が鈍っていった可能性もある。結果、ベルティエは専門バカになってしまった。元から専門バカだったのではなく、環境に過剰に適応したためにそうなった。
 もしベルティエが1796年にアルプス方面軍の参謀長からイタリア方面軍に転属せず、ボナパルト将軍の麾下に入らなかったら、果たしてどうなっていただろうか。彼はヌシャテル公やヴァグラム公にはなれなかっただろう。一方でフランスは、参謀業務に通じながら同時に他の軍務についても高いレベルでこなすことができる優秀な将軍を一人手に入れていたかもしれない。

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