将軍ランキング(byナポレオン)

 ナポレオン漫画でデュマが「全選手入場」をやったのを見て思ったのだが、ナポレオン自身があの紹介をやったらどうなっていただろうか。取り上げられた将軍たちに関するナポレオンの発言から引用してみよう。

 まずランヌ。
「ランヌは最初、勇気が判断力より勝っていた。しかし時間とともに後者が優勢になり、均衡へと近づいていった。彼が死んだ時、彼はとても有能な指揮官になっていた」
Emmanuel-Auguste-Dieudonne Las Cases, Memorial de Sainte-Helene, Tome Second"http://books.google.com/books?id=A3MuAAAAMAAJ" p43

 そしてオージュロー。
「彼の若い頃の勇気と美徳は彼を群集から抜きん出た存在とした。しかし名誉と高位、そして富が彼を再び庶民の水準まで引き下げた」
Memorial de Sainte-Helene, Tome Septieme"http://books.google.com/books?id=oXQuAAAAMAAJ" p306

 さらにマセナ。
「マセナは並外れた勇気と堅固さを持っており、過度の危機にある時ほどその気質が高まっているように見えた。打ち破られた時も、彼は常にまるで勝者であるかのように次の戦いに備えていた」
Memorial de Sainte-Helene, Tome Premier"http://books.google.com/books?id=5HEuAAAAMAAJ" p386
「さらにマセナはその浅ましい貪欲さで知られていた」
Memorial de Sainte-Helene, Tome Troisieme"http://books.google.com/books?id=rnAuAAAAMAAJ" p279

 ヴィクトール。
「ヴィクトールは人々が考えているよりもいい将軍だ。ベレジナ渡河の際に彼は自らの軍団のほとんど全てを渡河させるのに成功した」
Gaspard Gourgaud, Talks of Napoleon at St. Helena"http://www.archive.org/details/talkofnapoleonat007678mbp" p227

 最後にセリュリエ。
「古参の歩兵少佐としての物腰と厳格さを保ち続けたセリュリエは、誠実で信頼に値する人物だった。ただしダメな将軍でもあった」
Memorial de Sainte-Helene, Tome Premier, p387

 …あまり褒めている感じがしないなあ。実際にラ=ファヴォリタの戦いに参加した将軍たちの中でナポレオンが後に高く評価した将軍の数はそれほど多くはない。ではナポレオンにとって良い将軍たちとは具体的に誰だったのか。彼の証言からある程度は推測できる。

「ドゼーは私の最良の将軍であり、次がクレベールで、おそらくランヌが三番目だ」
Talks of Napoleon at St. Helena, p226

 これがナポレオンの認める、彼の麾下にいた将軍たちのトップ3である。面白いことに、全員かなり早い時期に死んだ連中ばかり。中でも死んだ日まで一緒だったルイ=シャルル=アントワーヌ・ドゼーとジャン=バティスト・クレベールは、ナポレオン自身によってしばしば一緒に語られている。

「クレベールとドゼーの損失はフランスにとって取り返しのつかないものだった」
Barry Edward O'Meara, Napoleon in Exile, Vol. I."http://books.google.com/books?id=VXkRAAAAYAAJ" p154
「彼ら[クレベールとドゼー]は私の部下の中で最も際立った二人だった。どちらも偉大で稀有の長所を持っていたが、彼らの性格と気質はとても異なっていた。(中略)
 クレベールは生来の才能の持ち主であり、ドゼーのそれは完全に教育と勤勉の結果だった。クレベールの才は、出来事の重要性によって覚醒された特定の瞬間にのみ発揮された。そしてすぐに怠惰と快楽の内部で眠りに落ちた。ドゼーの才は常に完全な活動状態にあった。彼は高貴な野心と真の栄光のためにのみ生きていた。彼の性格は真にいにしえからの模範のように形作られていた」
Memorial de Sainte-Helene, Tome Premier, p307-308
「クレベールはいつも女と首都での楽しみのことを考えていた。彼の目に栄光は享楽への道としか映っていなかったが、ドゼーは栄光そのものを目的として愛していた」
Talks of Napoleon at St. Helena, p72

 ナポレオンの作り出した26人の元帥たちのうち将軍ランキングのトップ3に食い込んだのは一人だけ。ジャン・ランヌに対しては時間と伴に将軍としての能力が高まっていったというのがナポレオンの見方だ。

「ミュラとランヌより勇敢になるのはとても困難、むしろ不可能である。しかしミュラは勇敢なだけにとどまり、それ以上にはならなかった。一方ランヌの心は彼の勇気と同じ水準まで向上した。彼は巨人になった」
Memorial de Sainte-Helene, Tome Cinquieme"http://books.google.com/books?id=vDkRAAAAYAAJ" p47-48
「私が最初にランヌを引き上げた時、彼は無教養な人物だった。彼の教育はなおざりにされていた。しかし彼はそれから大いに上達し、その驚くべき進歩から判断するに、いずれ第一級の将軍になると思われた。(中略)彼は素晴らしい勇気の持ち主で、砲火の最中でも冷静であり、明確な洞察力を保持し、姿を現すあらゆる機会を捉えて優位を得る心構えができていた」
Napoleon in Exile, Vol. I. p154

 では、このトップ3に次ぐ存在は誰なのか。ナポレオンはオメーラから、現時点(1817年春)でどの将軍が第一人者かとの質問を受け「答えるのは難しいが、私が思うにスーシェがおそらく第一人者だ。マセナはかつてそうだったが、しかしそなたは彼は死んだというだろう」(Napoleon in Exile, Vol. I. p318)と答えている。
 この質問はあくまで1817年春時点で存在する(つまり生き残っている)将軍に関する評価を聞いたもの。上に記したトップ3はナポレオンの麾下にいた全ての将軍が対象なので、彼らの方が評価は上だと考えていい。その3人に次ぐ位置に来るのがここでナポレオンが名前を挙げている連中。つまりアンドレ・マセナは4位、ルイ=ガブリエル・スーシェが5位ということになる。ただし、マセナは健康状態の悪化により晩年はその能力が落ちていた、というのがナポレオンの評価だ。

「彼は胸に病気を抱えており、そのため以前とはすっかり変わってしまった」
Napoleon in Exile, Vol. I. p318
「マセナはポルトガル戦役で自らを見失っていたが、それは馬上にいることも、もしくは何が起きているか自ら確認することもできないほど悪かった彼の健康状態に起因していると考える」
Napoleon in Exile, Vol. II."http://books.google.com/books?id=VHcRAAAAYAAJ" p217

 スーシェを5位にしたが、実はナポレオンはスーシェ以外の名も上げている。「私の意見ではスーシェ、クローゼル、そしてジェラールがフランスの将軍たちの中でも第一人者だ」(Napoleon in Exile, Vol. I. p318)。そのうち誰が最も優れているかについて断言するのは難しいと言っているので、正確にはこの3者が同率5位と考えた方がいい。

「スーシェはその勇気と判断力が驚くべき成長を見せた者の一人だ」
Memorial de Sainte-Helene, Tome Second, p44

 以上、トップクラスとナポレオンが認める将軍たち7人の中に元帥は3人しかいなかった。まあ実際には「彼[ナポレオン]はスールトも称賛の対象として言及した」(Napoleon in Exile, Vol. I. p318)そうなので、彼も含めてトップ8人の中に元帥が4人、と考えてもいいかもしれない。将軍としての能力と、元帥に選ばれることとの間には必ずしも厳密な関連性がある訳ではないようだ。
 ちなみにナポレオンが将軍の能力を判断するうえで重視しているのは「最高司令官」としてどの程度の実績を上げるかであり、「それが人物の能力の限界を解明する唯一の手段」(Napoleon in Exile, Vol. I. p318)だという。

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