リヴォリ戦役終幕

 今月のナポレオン漫画だが、遂にマントヴァ陥落。イタリア遠征初期よりはペースアップしているとはいえ、随分と長くかかったものだ。でもまだ、この後にフリウリ遠征が残っている。カール大公とベルナドットが登場するので、残念ながら省略する訳にもいかないだろう。それにデュマ将軍が橋の上で孤軍奮闘する場面もある。となるとレオーベンの休戦までにはもう数回かかると考えておいた方がいいだろう。とりあえずベルナドットがどんな変態になって登場するかが次回の楽しみ。

 さて史実との比較だが、冒頭のマセナ師団の行軍については前にも述べた通り。続いていきなり「謎の男」プロヴェラがマントヴァへ行軍している場面になる。漫画では単純に「振り切った」としか描かれていないが、実は戦報にも書かれているように、振り切る際に後衛部隊がかなりの損害を受けている。プロヴェラはレニャーゴ北西4キロほどの場所にあるアンギアーリでアディジェ川を渡ったのだが、このアンギアーリで2回ほどフランス軍と戦闘。ボナパルトの報告では計2300人の捕虜を取られている(Correspondance de Napoleon Ier, Tome Deuxieme"http://books.google.com/books?id=t10IAAAAQAAJ" p257)。
 プロヴェラの率いた部隊はStreffleurs militaerische Zeitschrift"http://books.google.com/books?id=3BnsJKsHDX8C"のp121によれば歩兵8379人、騎兵718騎の計9097人。捕虜以外に死傷者もいたであろうことを考えるなら、このアディジェ渡河の時点で3分の1ほどの損害を出した計算になる。もちろん、フランス側の報告のみを額面通りに受け取るのは拙いだろうが、それにしても結構大きな損害だった様子は窺える。ベルティエの報告ではこの時点で大砲14門も奪ったのだそうだ(Campagne du General Buonaparte en Italie, Tome II."http://books.google.com/books?id=4ARXyag379AC" p80)。
 このアンギアーリの戦いでは、フランス軍の騎兵大隊長がオーストリア側の騎兵指揮官と一騎打ちをしたという話が報告されている。「市民デュヴィヴィエは彼の大隊を止め、敵の指揮官に向かって『お前が勇敢なら、私を捕らえてみせろ!』と叫んだ。二つの部隊は足を止め、両指揮官はタッソ[イタリアの叙事詩人"http://fr.wikipedia.org/wiki/Le_Tasse"のことか]が数多く描いているような戦いの実例を示した。槍騎兵の指揮官はサーベルで2回打たれ、負傷した」(Correspondance de Napoleon Ier, Tome Deuxieme, p257)。戦闘の最中とはいえ、こういう戦いが行われたのは珍しいと言っていいだろう。何ともマンガチックな話だ。
 Streffleurs militaerische Zeitschriftに載っている戦闘序列を見ると、プロヴェラの部隊にはメサロス槍騎兵連隊がいた。デュヴィヴィエが戦った相手はボナパルトの報告だと「槍騎兵(uhlans)」とあるのでこの部隊の指揮官かと思われるのだが、ベルティエの報告ではこの時フランス軍と戦ったのは「エルデンディ」(Campagne du General Buonaparte en Italie, Tome II. p79)。戦闘序列を見るとエルデディは槍騎兵でなくユサール連隊である。司令官の報告と参謀長の報告でも、相互に矛盾することはあるという例だ。

 マントヴァ前面にたどり着いたプロヴェラがフランス軍に包囲され、降伏したのは史実通りだ。漫画ではセント=ジョージ砦という名前が出てくるが、英語読みしていた人物は現場にはいなかっただろう(グレアムはアルヴィンツィの主力と伴に退却中の筈)。戦報で書かれていたイタリア語読みのサン=ジョルジオが一番適当かもしれない。フランス語ならサン=ジョルジュ、ドイツ語ならザンクト=ゲオルグか。
 史実と違うのは、サン=ジョルジオ砦(マントヴァ東方)の攻撃に失敗したプロヴェラがマントヴァ北方ラ=ファヴォリタへ進出し、同じくマントヴァ北方にあるチタデラから出撃してくるヴルムゼル軍と連携を取ろうとしたこと。この試みはセリュリエやヴィクトールの抵抗によって失敗に終わり、プロヴェラはサン=ジョルジオ近くまで再び後退した。さらに第32半旅団が到着して攻撃を仕掛け、遂にプロヴェラは降伏を余儀なくされたという。
 ボナパルトやベルティエの報告書を見る限り、ここで戦ったのはセリュリエ、ヴィクトールが中心で、他にデュマの名が出てくる程度(Correspondance de Napoleon Ier, Tome Deuxieme, p257-258と、Campagne du General Buonaparte en Italie, Tome II. p81-83)。第32半旅団が到着しているので、マセナもいた可能性はある。しかしオージュローやランヌの名は全く出てこない。デュマのマイクパフォーマンスは漫画的演出としてはなかなか愉快であったが、あれはあくまでフィクションならではの演出と考えた方がいい。
 続いてアルヴィンツィの追撃にあたったジュベールからの報告が漫画の中で描かれているが、実際にジュベールが1月18日に記した報告書(Memoires de Massena, Tome Deuxieme"http://books.google.com/books?id=kpcvAAAAMAAJ" p522)には「捕虜1万5千、死傷6千、軍旗25、大砲60門」といった文章は見当たらない。ジュベールの報告書で分かるのは、ある退路には80人の死者が横たわっていたということと、6000人のオーストリア軍部隊が武器を置いて捕虜になったということだけである。むしろ漫画に出てくる数字はボナパルトが報告した戦役全体の数値(捕虜は2万5000人となっているが、死傷者、軍旗、大砲の数はぴったり)に近い。
 ラストに来るのがマントヴァ降伏。これについてはナポレオン書簡集に詳細が記されている(Correspondance de Napoleon Ier, Tome Deuxieme, p294-298)。冒頭に名前が出てくるのはヴルムゼルとセリュリエであり、降伏に関して正面に出て交渉したのがセリュリエであることが分かる。ラストの署名もボナパルトの名は「写し」の方に書かれている。騎兵200、兵500、大砲6門などの条件については、降伏文書の第2項(p295)に記されているのが分かる。

 さて、冒頭でああ言ったものの、それでもイタリア遠征がほぼ終幕に近づいていることは確かだろう。それが終わるといったん話はパリに戻り、久しぶりに政治劇になる。有名人としてはタレイランの登場が予想されるほか、エジプト遠征になればネルソンも顔を出すだろう。一方、フリュクティドールのクーデターが描かれる可能性はおそらく低いだろう。オッシュなどは再登場する機会のないまま病死するのではないだろうか。

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