増援は来たのか

 リヴォリ前にオーストリア軍が集めた増援について。前にグレアムが「フレーリヒ将軍が6000人の兵とともにダヴィドヴィッチに合流した」と記していることを紹介し、一方カール大公が増援を送った事実を否定していることも指摘した"http://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/41944979.html"。その時点ではライン方面からの増援はなかったのではないかと判断したが、実はグレアムはこの件について別のところでも触れていた。

「戦役開始時におけるド=ボーリュー将軍の軍勢 3万人
 ヴルムゼル元帥と伴に上ラインから来た兵 3万人
 9、10、11月にアルヴィンツィへ送られた増援 2万5000人
 フレーリヒ軍団からの分遣隊と武装ティロル人 1万1000人
 12、1月にアルヴィンツィへ送られた新たな増援 9000人」
Thomas Graham "A Contemporary Account of the 1796 Campaign in Germany and Italy, Volume 1" p135

 編者であるNafzigerは、この数字はあまり当てにならないと指摘している。実際、Boycott-Brownによればリヴォリ戦役の前にアルヴィンツィがかき集めた軍勢は1万4000人強で、グレアムの記している2万人(フレーリヒ軍団、ティロル人、及び12月と1月に送られた増援の合計)には及ばなかった。
 それでもグレアムが「フレーリヒ軍団からの分遣隊」と記しているのは無視できない。何度も言う通りこの時期のグレアムはイタリア方面の連合軍司令部で仕事をしており、そこで起きたことについて詳しく知っていた可能性が高いのだ。正確にはフレーリヒが送られてきた際にはまだマントヴァ内で包囲されていたと思われるが、その後アルヴィンツィの司令部に合流しているのでどのように増援が送られたかについては一定の情報は得ていたであろう。
 要するにライン方面からの増援に関しては前ほど「来なかった」という結論に自信が持てなくなった、ということ。グレアムがここまではっきり断言している以上、それなりの論拠があったと考えた方がいいだろう。もしかしたらリヴォリの戦い直前に「そうかライン方面から来たのか」「あっちはどんな具合だ?」という会話が本当にあったのかもしれない。

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