「軍需物資から見た戦国合戦」読了。軍需物資とあるが中心はあくまで木と竹であり、他の物資についてはあまり触れていない。もともと著者の関心は当時の森林のあり方など環境的なものに向けられているようで、その環境に大きな影響を与えたものが合戦相次ぐ戦国時代だった、という話。題名には「戦国合戦」とあるが、合戦に関する話はほとんど載っていない。
ある意味でこれもロジスティックス(兵站)関連の本。といっても前に紹介した「軍事とロジスティクス」のように必要な物資をどう運ぶかという点についての言及は限られており、運搬前に物資をどう確保するかが中心的なテーマだ。そして物資確保は戦争のためだけではなく、戦国大名の領国全体の繁栄を睨んだものでもある。あまり合戦とか軍事にこだわって読むと落胆するかもしれない。
逆にそうした切り口以外の知識を求めるならいい本だ。当時、貴重な物資であった木や竹を大名たちがどのように確保し、時には保全や再生に力を注いだかが分かる。それでも必要に応じて過剰な伐採を行うこともあったため、それが環境に影響を与えたことも指摘されている。戦後すぐに起きた伊勢湾台風などの災害は、戦時中の山林伐採で山の保水力が失われたのが一因であるという説が存在したのも初耳だった。
大名による軍需物資確保のための活動が、より広い意味での経済活動の範囲から離れたものではなかった点についても、詳細な史料に基づく分析を行っている。山林や竹林がいわば宝の山として様々な関係者の間で奪い合いになっていたことや、切り出した材木の加工に関する話など、なかなか興味深い。材木や竹についてもある程度基準となるサイズが決められ、そうしたサイズに合わせた品物が流通していたことが分かったのも収穫。もちろんJIS規格ほどしっかりしたものではないだろうが、経済的効率性を高めるためには標準化が避けられなかったのだろう。
現在の日本が、特に南部において極相林へ進行し照葉樹が復活しつつあるとの指摘も感心したところ。確かに国産材が高価すぎて売れない現状では山林に手を入れる動きは止まり、結果として最も安定した生態系である極相林へと遷移していくのは自然だろう。むしろ驚いたのは、それこそ中世の頃から日本南部は照葉樹の林ではなくなっていたとの指摘だ。
花粉症が話題になる際によく戦犯とされるのが、戦後行われた杉や檜の植林。確かに大規模な植林が戦後行われ、にもかかわらず杉も檜も使われなかったことは事実だろう。だが、それ以前は手付かずの照葉樹が日本の南部に広がっていたのかというと、そうではなかった。中世を通じて松などが増加を続けていたほか、杉も目立っていたようで、要するに昔から日本の南部では人間が手を入れて照葉樹林帯を(材木としての利用に適した)違う植生に変えていたのである。
前に読んだ「1491」では、アマゾンは原生林ではなく原住民が手を入れて作り上げた巨大な果樹園だと指摘していた。日本でも山や竹林には人が手を入れる流れがずっと昔から存在し、時には植林も行っていた。ヒトの活動は産業革命よりずっと前から自然を大きく変えていたのである。環境問題を論じるうえで外してはならない視点だろう。
とまあ色々新しい知識を得られた本だったのだが、一つ疑問点が。著者は天正6年に織田信長が造らせた大船6艘について「宣教師のオルガンチィノはこの船は鉄板で装甲されていたと報告している」(p89)と記している。だがこれはおかしい。
オルガンティノの報告書についてはこちら"http://proto.harisen.jp/koramu/koramu-tekkousen2.htm"の[史料2]で見ることができる。オルガンティノが述べているのはこの船がポルトガル船に似ていること、大砲(大鉄砲)3門や無数の長銃を載せていることなどであり、どこにも「鉄板で装甲」などとは書かれていない。これはどういうことだろうか。
著者はあちこちで詳細に史料を調べて引用している。史料の取り扱いにはかなり慣れた人だろうと思われる。実際に多聞院日記からの引用や、豊臣秀吉から「くろかね板」を求められたという家忠日記からの引用には、特段問題があるような記述は見当たらない。なのに、なぜかオルガンティノの報告書については書かれていないことを本に記してしまっている。
この本を読む限り著者の関心はそもそも合戦より環境問題に向いているようだ。となると、合戦関連の史料についてはあまり詳しくなかった著者が、どこかの(間違った)二次史料に書かれていたオルガンティノの報告を鵜呑みにしてしまった可能性がある。だが、そうだとすると多聞院日記や家忠日記に関する比較的真っ当な記述が理解できない。
そう思いながら調べてみるとネット上でさらにトンデモ記述を発見。英語wikipediaのPre-industrial armoured ships"http://en.wikipedia.org/wiki/Pre-industrial_armoured_ships"に「イエズス会士のオルガンティノは[この船が]2-3インチの鉄板で守られていると描写した」と記してあるではないか。論拠にあがっているのはBoxerのThe Christian Century in Japan 1549-1650なる書物、つまり二次史料。一体どんな本なのだろう。
気になってこんどはwikipediaのAtakebuneを調べると、多聞院日記に鉄の船であると記されているという(こちらは間違っていない)事実を指摘した後で「船を見たルイス・フロイスは鉄甲について全く触れていない」と書いている。ちょっと待て、どこからルイス・フロイスが出てきたんだ? フロイスが安宅船を直接見学したなんて話は聞いたこともない。こちらの論拠はStephen TurnbullのSamurai Warfareなる本だ。
実はこうした混乱は日本語wikipediaにも見られる。こちら"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%AE%85%E8%88%B9"ではフロイスが「大安宅船を実見した」ことになっている。シェヘラザードさんによれば理系関連のwikipediaには大きな間違いはないそうだが、歴史関連に限れば、過去にもナポレオン関連でいくつも取り上げているように内外ともwikipediaはあまり信用できない。
こうなったらもうオルガンティノの報告書の原文を調べるしかないのだろう。私自身、日本語訳された文章は読んだことがあるが、原文(ポルトガル語?)は見たことがない。とにかく原文を見ればオルガンティノがどう書いているかは分かる筈だ。といっても私自身が調べるのは面倒なので誰か調べてお願い。
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