日記ならぬ週記である。
ジャンプ漫画は試合がないのでパス。NFLはドラフトが終わっていよいよニュースのない時期に突入した。Marvin Harrisonが拳銃を発砲したとかしないとかいう話が出ているが、要するにそういうオフフィールドの話題が中心の季節なのである。もうしばらくしたらプレビュー誌が出始めると思うが、私の住んでいる地方都市でそういうものが出回ることはあり得ないので、これも話題に取り上げにくい。
という訳でどうでもいい話をいくつか。岡田斗司夫の「オタクはすでに死んでいる」をざっと立ち読みした。ネット上では賛否両論飛び交っているようだが、中身を見ると分かる通り著者が言っているのは「私の定義するところの『オタク』は死んだ」という話であって、定義が違えば結論も異なるはず。それを踏まえずに熱心に否定しようとすればかえって話題を盛り上げて著者の思う壺にはまるので、異論のある人はスルー力を発揮した方がいいと思う。
私自身はどう感じたかというと、自分の年齢が著者の言う第一世代に当たっていることもあり著者の感覚は何となく分かったような気がする。特にSFの歴史について書かれた部分は読んでいて膝を打った。かつてあれほど輝きを放っているように見えた『SF』という言葉が80年代末ごろを境に急速に色あせていったのは、実はSFが大衆化され当たり前のものになったためだという説明は、自分の心の中に残っていたもやもやを(全部ではないが)解消させてくれた。
逆に著者が懐かしさを込めて語っているオタク間の一体感とか共同幻想というものについて、私には全く実感がない。私は自分がオタクの一角を占めているのではないかと思っているが、問題はその場所がオタク大陸でも辺境にあること。メーンストリームにいた著者なら一体感や共同幻想を感じる機会も多かっただろうが、私が自分の周辺でそういう感覚を抱いたことはほとんどなかった。元々なかった共同幻想の消滅に落胆することもないため、「オタクは死んだ」といわれても「はあそうですか」以上の感想が出てこない。
どんなジャンルであれ、裾野が広がれば消費するだけのぬるい(ミーハーな)ファンの比率が高まる。もちろん求道的で熱中度の高いマニアも一定数いるはずだが、パイが広がるとそうした連中は数に埋もれて目立たなくなる。著者はオタクの変化の背景に時代の変化があると説明しているが、個人的にはやはり単に裾野が広まって全体が薄まったことが変化をもたらした最大の要因だと思う。
もう一つ、同じオタ関連評論家(?)の本田透が記した「なぜケータイ小説は売れるのか」についても。著者がメジャーデビューする前に著者のサイトをよく見ていた立場からすると、こういう芸風の本も書けるというのは正直びっくりした。電波男系の作風一本槍かと思っていたのだが、この本はきちんと関係者に話を聞いてできるだけ冷静に分析している。ネット(PC)でよく見かける一方的断罪はほとんどなく、ケータイ小説が持つ可能性についても結構前向きに捕らえている。
ケータイ小説が現代的な意味の「小説」というよりは大衆芸能、民間説話であるという主張は著者の独創ではないと思うが、それなりに納得はいく。またケータイ利用者とPC利用者が異なる層に所属し、PCを使わない人間(著者は明示してはいないが、パチスロに嵌るような非インテリ層とほぼ同義だと思われる)が最近になってケータイ経由でネットに参入するようになったとの指摘も同感だ。上の「オタクは死んだ」と同様、参加する裾野が広がったのだ。その結果として小説とも言えないようなぬるい「小説」が広まったという面もあるだろう。
しかし、個人的にこの本で一番のツボだったのは著者が取材の過程で複数の関係者から得た証言、即ちケータイ小説の読者の大半が地方都市「たとえば、北関東」(p84)在住であるという指摘だ。著者はそこから、地方在住の若者たちが東京との間の「情報格差」(p86)に苦しんでいることがケータイ小説がヒットした背景にあるのではと想像している。
著者の想像がどこまで正しいか私には判断できないが、都市部と地方との格差を最も切実に感じているのが若者ではないかとの指摘には目が開かれる思いがした。上にも書いたが、私は現在仕事の都合で地方都市に住んでいる。一方で、これまた仕事の都合で東京など大都市部に住んでいた期間も結構長い。その経験を踏まえた個人的感想を述べるなら、地域間格差の最大の犠牲者が地方の若者だという説には納得がいくのだ。
地方の大人には同情しない。地域の衰退に対して彼らは手をこまねいていただけであり、現在の惨状に一定の責任を負っている(責任の割合は人によって異なるとしても)。しかし、十代以下の若者や子供にはその責任はない。彼らは衰退をもたらした訳でも、衰退を前に不作為の罪を犯した訳でもない。一方で世の中は情報社会化が進み、繁栄する大都市の情報だけが彼らの下に届く。格差を感じ、不条理だと思っても無理はない。
今の大人が若かった頃に比べても地方の衰退は激しい。かつての地方には、浜田省吾の歌ではないが「寂れた映画館」くらいはあった。しかし今、地方の中心市街地には寂れた映画館すらない。残っているのは巨大な駐車場を持つ郊外の大型ショッピングセンターに入っているシネコンくらい。それも含め娯楽施設は軒並み郊外へ移り、自動車を持つ人間だけがその恩恵に与れるようになっている。つまり大都市と地方の格差に加えて、マイカーを持つ大人と持たない若者の間にもかつてはなかった格差が存在しているのだ。北関東などはまさにそうした地域の代表だろう。
私が現代の地方都市に住む若者だとしたら、とにかくここを逃げ出したくて仕方なくなるだろう。実際に若者は次々と地方を去り、少子高齢化が進み、人口が減り、街はさらに寂れ、地方の衰退は一段と加速する。スパイラル現象だ。正直言って、明るい見通しが描けない。
コメント
No title
2008/05/10 URL 編集
No title
とはいえ、いまだに若者が地方を離れて都市部へ流入しているのは事実です。それが単に仕事の有無に基づく行動なのか、それともまだ上に述べたような都鄙感覚が残っているのか、そのあたりに興味があります。
2008/05/11 URL 編集