グレアムやらねば誰がやる

 リヴォリ戦役においてボナパルト将軍はオーストリア軍の主力がどちらから来るのかを見定めるのに時間を要した。13日午前9時にジュベールに出した命令(http://books.google.com/books?id=85jrswh0Sd0C" p238)で兵力を訊ねているのも、判断を下す材料がほしかったからだろう。そして同日午後3時から立て続けに命令を出しているところを見ると、ジュベールから届いた返答をもってオーストリア軍主力の位置が分かったと考えるのが妥当である。
 ベルティエの書いたリヴォリ戦役に関する報告書も、この判断を裏付ける。彼によればニヴォーズ24日(1月13日)夕方にラ=コロナの陣地が優勢な敵に攻撃を受けたことをボナパルトが知り、「ジュベール将軍の正面に展開した戦力は、もはや敵の意図に疑問の余地を残さなかった」(Campagne du General Buonaparte en Italie, Tome II."http://books.google.com/books?id=4ARXyag379AC" p68)そうだ。Martin Boycott-Brownなどの研究者もこうした推測を元に本を記している。

 もっともこれで間違いないと断言できるほど話は簡単ではない。ボナパルト本人は1月18日付の総裁政府への報告書で「様々な兆候が敵の本当の計画を私に知らしめた」("http://books.google.com/books?id=85jrswh0Sd0C" p254)と記しており、一つの報告書だけで判断を下した訳ではないことを示唆している。ではジュベールの報告書以外に何かきっかけになるようなものがあったのだろうか。あった、と書いている歴史家もいる。Archibald Alisonがそうだ。
 Alisonは13日にボナパルトが下した判断について、「[アディジェ]川上流で大軍が見られることについて急を知らせる報告と、オーストリア軍司令部の裏切り者から受け取った秘密の情報」(History of Europe from the commencement of the French revolution"http://books.google.com/books?id=82QIAAAAQAAJ" p51)に基づくものだとしている。
 論拠はおそらくハルデンベルクのMemoires tires des papiers d'un homme d'Etat, Tome Quatrieme"http://books.google.com/books?id=PVW75raK7FMC"だろう。同書p158には「同じ夜[13日]にアルヴィンツィの司令部から秘密の報告が届いた」との文章がある。Alisonの本の脚注には載っていないが、過去にAlisonがハルデンベルクの本から引用していた例があることからもおそらく間違いない。
 ではハルデンベルクはどこからこの話を持ち出したのだろうか。彼の本には引用元が記されていないので確言はできないが、多分「邪悪な革命を潰すために生まれた男」トーマス・グレアムの本が元ネタだと思う。彼のA Contemporary Account of the 1796 Campaign in Germany and Italy, Volume Iには「しかしスパイの報告と、オーストリア軍がコロナ方面へ分列行進させたかなりの戦力が、彼らの企図に関する疑いの余地を残さなかった」(p120)と記されている。ジュベールの正面にいる戦力に加え、スパイからの報告が判断要因になったという訳だ。
 問題はこのグレアムの証言がどのくらい信用できるのか、ということ。そもそもグレアムはオーストリア軍の司令部にいたのであって、ボナパルトがどのような報告を受けていたのか身近で見ていた訳ではない。グレアムの証言は、実は本人も認めているのだが、憶測である。

「彼はそれ[アルヴィンツィの計画]を普通のスパイを使うのではなく、オーストリア軍が立案する作戦について精通する機会がある何者かから入手したのだと思われる」
"A Contemporary Account of the 1796 Campaign in Germany and Italy, Volume I" p124-125

 ボナパルトがそうやって情報を得ていたのでなければ、彼は完全な勝利を収めることはできず、いずれかの段階でオーストリア軍がマントヴァを解放していた筈だ。グレアムはそう書いている。だが、それはあくまで推測でしかないし、本人が言うように「憶測を公表するのは、間違いなく軽率だろう」(p124)。ましてその憶測に則って歴史書を書くのはもっと問題だ。より慎重にことを進める必要がある。
 ナポレオンがスパイを使っていたこと自体はおそらく事実だろう。また、グレアムが上記のような憶測をしたくなる気持ちも分かる。リヴォリ戦役は綱渡りの連続だった。だがボナパルトはその綱を渡りきり、華麗な勝利を収めた。そんなことができたのは敵の作戦計画を事前に知っていたからに違いない。おそらくグレアムはそう思ったのだろう。しかし論拠はない。オーストリア軍の司令部から発せられたスパイの報告が13日にボナパルトの下に届き、それを見て彼が判断を下したことを示す史料は、私の探した限り見つからないのである。
 証拠がない以上、スパイの情報が決定的な役割を果たしたという説を採用するのは無理だろう。脚注で触れる程度が精一杯だ。ボナパルトがリヴォリ戦役の綱渡りに成功したのは、相手の手の内を知っていたからではない。まるで悪魔に魅入られたかのような幸運の連続がボナパルトの勝利に寄与したと考える方が、まだ誠実な態度である。

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