シェヘラザードさんのblogでブリュヌの話"http://blog.livedoor.jp/sheherazade/archives/51152123.html"を紹介していた。そこで引用されていたのがNapoleon Seriesに載っているThe Rehabilitation of Marshal Brune"http://www.napoleon-series.org/research/biographies/c_brune.html"(フランス語は"http://www.napoleon-series.org/research/biographies/c_brune1.html")という記事。ブリュヌの名誉回復を図るという試み自体は面白いものだし評価したい、のだが、読んでいると首をかしげたくなる部分がある。
特に問題なのがスイスにおけるブリュヌの行動について記したところだ。以下に論点ごとにまとめて疑問点を指摘する。
1)1798年3月9日の軍への布告で略奪を防ごうとした
ソースが不明だしブリュヌの布告の具体的内容が記されていないという問題があるが、それよりもっと拙いのは軍への布告を根拠にブリュヌを無罪にしようとしていること。もしこの論法が成り立つなら、「(行き過ぎた行為をした者たちを)諸君の中から排除せよ」("http://books.google.com/books?id=dYfhdzYbIa0C"のp170)と兵に呼びかけたマセナだって清廉潔白な人物になってしまう。軍に対し略奪しないよう訴えるのは司令官が出す布告の定型文ともいうべきものであり、論拠としては弱い。
むしろRamsay Weston Phippsが紹介しているブリュヌからボナパルトへの手紙("http://books.google.com/books?id=T14uAAAAMAAJ"のp533)を根拠に、ブリュヌが略奪者に対して厳しい態度を取っていたと論じる方がまだ説得力はある。ただし、他人の略奪を禁止したことはブリュヌ自身が略奪をしなかったことの証拠にはならない。Phippsはブリュヌが略奪したと推測している。
2)総裁政府の検査官Rapinatと"a la brune"
どちらも単なる駄洒落の解説。もちろんブリュヌの無罪を立証するうえでは何の意味もない言及である。
3)アインジーデルンとシオンからの負担金徴収とシュタンツの略奪
3月28日にスイスを去ったブリュヌが、アインジーデルン(5月4日)、シオン(5月15日)、シュタンツ(9月9日)の件に関わっていないのは確かだろう。Taineに対する反論としては意味がある。ただし、Phippsなどが問題にしているのはベルンでの行為のみだし、弁護士Dupinも「彼はベルンの国庫を、領収書も目録も公式報告書もないまま押収したと言われている」("http://books.google.com/books?id=SrwFAAAAQAAJ"のp465)と述べているように、ブリュヌの行動で焦点になっているのはベルンで略奪したか否かという点だ。アインジーデルン以下の話はどちらかというと枝葉末節である。
4)1819年の監査結果によってブリュヌの無罪が決定した
この話をもっと詳細に書くべきである。ブリュヌが総裁政府に送った総額とか、それを裏付けるソースの紹介とか、ブリュヌを批判している歴史家はどこが間違っているのかに関する詳細な分析など、書くべきことはいくらでもあるはずだ。なのに単に無実が決まったとしか書いていないのはなぜか。書き手が詳細を知らないのか、もしくは詳細に書くと穴があることが分かってしまうから隠しているのではないかという、いらぬ勘繰りを招く。
5)ナポレオンがセント=ヘレナで「ブリュヌは間違った非難を受けた」と言っている
読者をミスリードさせる、やってはいけない引用の例。ソースを載せていないのも怪しい。実はこの文章はGourgaudとMontholonがまとめた本"books.google.com/books?id=BrsNAAAAIAAJ"のp39から引用されている(シェヘラザードさんの指摘)のだが、より文脈をはっきりさせるため引用されている部分のもう少し前から和訳してみよう。
「ベルン陥落はエルヴェティー[スイス]の終末を示す合図になった。ルツェルン、チューリヒ、シャフハウゼンが、ゾロトゥルン、フリブールとベルンの運命に続き、多かれ少なかれバーゼルとローザンヌの例を真似した。これらの動きは、各州(カントン)が総裁政府への忠誠を示すため、地域の状況に応じていくつかの顕著な違いがある自らの政府をつくったという自然な変化から全て生じた。彼らは当初、3つの連邦共和国を作り、後にその数が13から14になり、最後にブリュヌが2つにした。この将軍はその結果、スイスで権力をほしいままにしたという間違った非難を受けた。だが歴史が彼の名誉を回復するだろう」
読めば一目瞭然。ナポレオンが話しているのはスイスの再編に関する話題である。だがRehabilitationの書き手はオリジナルの文脈を無視し、英語のthenに相当するalors「その結果」という単語を削除したうえで、あたかもナポレオンが略奪の件について語っているかのような引用をした。前にこのblogで紹介したAlisonの引用も酷かったが、これも褒められた引用ではない。
実はナポレオンはブリュヌの略奪について別のところで言及している。それもRehabilitationに載っている話とは全く逆のことを。ラス=カーズ本"http://books.google.com/books?id=rnAuAAAAMAAJ"のp279がそれで、「マセナ、オージュロー、ブリュヌ、そして他の多くは単なる大胆な略奪者だった」そうだ。セント=ヘレナのナポレオンを引用するのなら、こちらの方がずっと文脈に合った証言である。
以上、Rehabilitationの問題点を取り上げた。繰り返すが試み自体は面白い。しかしブリュヌの無罪を立証するには(特にスイスの部分は)証拠になってなかったり論拠の説明が不十分だったりする。読んでいてとても物足りない文章だ。
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