アイラウの戦いについて記した公報になぜか二種類あることは前に指摘した。「祖国は危機にあり」でもJ. David Markhamが英訳したもの"http://www.asahi-net.or.jp/~uq9h-mzgc/g_armee/source/eylau_mar.html"と、Greg Gorsuchが英訳したもの"http://www.asahi-net.or.jp/~uq9h-mzgc/g_armee/source/eylau_gor.html"の両方を紹介している。
で、今回はGorsuchと同じ史料を見つけたのでそれを紹介しておこう。1807年に出版されたCampagne de la Grande armee en Saxe, en Prusse et en Pologne"http://books.google.com/books?id=xZVJAAAAMAAJ"だ。同書p325-328に載っている公報第58号は、Gorsuchが紹介したものと基本的に同じである。
1807年出版の本にそう書かれているのだから、Gorsuch訳の方がおそらく正解なのだろう。つまりオージュロー軍団の前進は、ロシア軍左翼に到着したダヴー軍団の方に敵がシフトするのを防ぐのが狙いだったということ。Markham訳のようにダヴーの到着はミュラの騎兵突撃後だったと解釈するのは難しい。
それにしてもMarkham訳の原文はいったいどこから出てきたのだろう。調べれば調べるほど分からなくなる。実に不可解だ。
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