赤毛か赤ら顔か

 ネイのあだ名の中に"Le Rougeaud"というものがあった、という話はよく書かれている。英語のwikipedia"http://en.wikipedia.org/wiki/Michel_Ney"でも冒頭に"known as Le Rougeaud"と出てくるほど。もう一つの"le Brave des Braves"(勇者の中の勇者)よりも先に出てくるくらいだから、かなり広く知られている言葉だと言っていいだろう。
 私は「大陸軍 その虚像と実像」でこのLe Rougeaudというあだ名について記したことがある"http://www.asahi-net.or.jp/~uq9h-mzgc/g_armee/ney.html"。Raymond Horricksの本を参照し、ネイは本当に赤毛だったのかという疑問を紹介した。最大の問題はrougeaudという言葉が一般には赤毛というより赤ら顔と翻訳される点にある。たとえばこちらのオンライン辞書"http://www.wordreference.com/"でrougeaudを英訳すると出てくるのは"red-faced"赤ら顔の、"ruddy"血色の良い、"sanguine"赤みを帯びた、といった具合である。
 もっとも赤毛のことをrougeaudと表現する例は皆無ではないようだ。フランス語のwikipedia"http://fr.wikipedia.org/wiki/Michel_Ney"ではLe Rougeaudというあだ名について「赤毛と日に焼けて赤らんだ膚」に由来すると説明しており、髪の毛と膚の色両方を論拠に掲げている。ネットを見ると「うちの妹は赤毛だがフランス人は彼女のことを指してrougeaudeと言っていた」との証言も見つかる。
 問題は辞書の定義ではなく、当時の兵士がどういうニュアンスでネイのことをLe Rougeaudと呼んでいたのか、である。という訳で早速google bookを調べてみたのだが、結論は驚愕すべきものだった。le rougeaudとneyで検索をかけたところ、引っかかったのは大半が20世紀に出版された書物ばかり。最も古いものでも19世紀末で、ネイが生きていた頃やそれから間もない時期にこの二つの言葉が一緒に見つかった例はないのだ。
 これはもう一つの有名なあだ名であるle Brave des Bravesとは大違い。brave des bravesとneyで検索した場合、全文表示が可能な本(つまり出版時期の古い本)だけで300件以上が見つかる。その中にはネイが処刑された1815年に出版されたものもあり、当時からそうした呼び方があったことが分かる。
 もちろんgoogle bookが全ての書物をカバーしている訳ではないし、運悪く検索に引っかからなかった可能性もあるだろう。だがle Brave des Bravesの検索件数と比較した場合、le Rougeaudというあだ名が書物の上では圧倒的にマイナーであったことは否定できない。いや、マイナーどころかそもそもそんなあだ名が使われていたという証拠が見つからない状態だ。証拠の不在は不在の証拠にはならないとはいえ、これはただならぬ事態である。
 「赤ら顔」が見つからないのなら、いっそ「赤毛」を探してみてはどうだろうか。そう思ってle rougeとneyで検索したところ、1863年に出版された本"http://books.google.com/books?id=b_QOAAAAYAAJ"が引っかかった。le rougeaudで探したどの本よりも古い時期に出版されている。中身を見るとそこではネイのあだ名として"Pierre le Rouge"赤毛のピエール、とか"le Lion rouge"赤い獅子、という言葉が使われていたと記されていた。
 そこでさらにlion rougeとneyで検索すると見つかるのが何とMemoires du Marechal Ney"http://books.google.com/books?id=TUK7_25FflsC"。そこでは以下のように書かれている。

「戦争に疲れた晩年、元帥はほとんど禿げかけていた。かつては兵士たちが、彼の明るい金髪を指して赤毛のピエール"Pierre-le-Roux"とか赤い獅子"Lion Rouge"というあだ名をつけていた……皇帝が小伍長と呼ばれていたように……そして戦を決める局面になると遠方から彼の砲声が聞こえてきたものだ。兵士たちは言い交わした。気合を入れろ、赤い獅子が唸っているぞ。赤毛のピエールが来れば何もかもうまくいく」
Memoires du Marechal Ney, p41

 現時点での結論。ネイは「赤ら顔」ではなく「赤毛」。そしてle Rougeaudというあだ名は存在しなかった可能性がある。ネイのあだ名は「赤毛のピエール」または「赤い獅子」だ。ただし、なぜ「ピエール」なのかという理由は不明。

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コメント

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シェヘラザード
なんで「ピエール」かはナゾですね。フランス語の「ピエール」に特殊なメタファーとかあったのかな。時代によっても異なっている可能性がありますし。rougeaudに関しては、おそらく、本来の形はrougeotだったかもしれません。この単語はエイメの回想録に出てきます。http://www.geocities.jp/rougeaud1769/Heymes.htm#_ftnref1

この単語そのものがフランス語辞書には載っていないのですが、-otというのは親しみを表す接小辞のようなものかも。私は言語学はさっぱりなので不確かなのですが。rougeotの発音もよくわからないのですが、おそらくrougeaudと近似もしくは同じだと思います。ブーリエンヌの回想録にもrougeotで出ていますね。それにしてもかなり新しい時代になってから定着した「伝説」も結構多いのでしょうね。日本各地の「伝統芸能」なども、調べていくと明治時代に再興もしくは、あたらしく作られたものが相当数あるらしいという話を読んだことがあります。

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desaixjp
エイメやブーリエンヌの本は1830年前後の出版、Memoires du Marechal Neyは1833年なので、le rougeotの方が文献に登場する時期は早いようですね。ちなみにこちら"http://www.wordreference.com/"でrougeotを翻訳すると出てくるのはreddish。正直、髪でも膚でも成立しそうな表現です。一般的には赤ら顔と英訳されることが多いrougeaudという言葉が文献中に登場し始めたのがいつなのか、気になるところです。
「ピエール」の方はさっぱり分かりません。一般名詞としてのピエールには「石」という意味があるようですが、本に出てくるのはあくまで最初が大文字のピエールですし。

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desaixjp
さらに調べてみたところ、rougeotの類語としてrougeaudを紹介している事例を見つけました"http://dictionnaire.sensagent.com/rougeot/fr-fr/"。なるほど、これならrougeotがrougeaudになっても不思議はないかもしれません。でも正確さを重視するならやはりエイメらが記しているle rougeotをそのまま引用する方が誠実な気がします。いったい誰がrougeaudという言葉を使い始めたのでしょう。
いずれにせよ情報ありがとうございました。

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シェヘラザード
Levavasseurの引用箇所原文です(フランス語のアクセント記号は非記入)" Les soldats lui avaient donne deux surnoms:quand ils le voyaient passer dans une revue, c'etait le roux a cause de la couleur de sa barbe et de ses cheveux; quand ils racontaient les batailles, ils l'appelaient le brave des braves, a cause de cette valeur calme dont il etait le modele." Octave Levavasseur "Souvenirs Militaires 1800-1815", Paris, A la Librairie des Deux Empires, 2001.

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シェヘラザード
当該書籍は1914年に著者のひ孫が出版した初版のリプリント。Levavasseurは1832年まで軍籍にあり、以後退役。1866年に85歳で死去。Souvenirが書かれた年代は記されていませんでした。引用箇所は2001年版のp321です。

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desaixjp
情報ありがとうございます。Levavasseurが指摘したあだ名は赤毛と勇者の中の勇者でしたか。彼みたいにあだ名の理由をきちんと書いていてくれる回想録がもっと多ければ苦労せずにすむのですが。
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