セント=ヘレナいろいろ

 ベルトランがセント=ヘレナで書いた日記のうち、1821年分については安い英訳本が出ていたので古書で購入した。で、読んでみるといくつか面白い話が載っていたので、心覚えでここに書いておく。

「1月21日(中略)彼[ナポレオン]はビリヤード室にシーソーを入れた」
"Napoleon at St. Helena" p46

 シーソーとはもちろんこちら"http://en.wikipedia.org/wiki/Seesaw"のシーソーだ。何のためにそんなものを入れたのかというと「これを毎日半時間使えばけっこう汗をかいていい運動になるように思われた」(p47)のだとか。まさかダイエットのためという訳でもないだろうが、ベルトランが最初に見た時に何なのか分からなかったくらいだから物珍しさの方が大きな理由かもしれない。

「[若いころヴァレンスの守備隊に赴任した]直後、私[ナポレオン]はリヴァーシのゲームに誘われた」
"Napoleon at St. Helena" p84

 このリヴァーシ(reversi)というゲームが何なのかに興味がある。現在、リヴァーシといえばこちら"http://en.wikipedia.org/wiki/Reversi"のゲームのことを意味するのだが、このwikipediaを見る限り現代版リヴァーシが生まれたのは1880年。中には中国の古いfan mianというゲームに源流が遡るとの主張もあるようだが、こちら"http://www.setupgroup.com/xo/othello.php?ua=YYYNTYtabs"ではそうした証拠は存在しないと指摘している。
 そもそもナポレオンがプレイしたリヴァーシというのがどういうゲームなのかも不明。だがもしそれが現代のリヴァーシ(オセロ)と同じようなゲームだとしたら、少なくともwikipediaに載っている「1880年淵源説」は否定される。逆に論拠なしとして退けられている「中国の古いゲーム説」の方が可能性が高くなりそうだ。もちろん、暗号のようなベルトランの日記を解読する際に間違えた、という可能性も残っている。

「私[ナポレオン]が他の人間と私の間に存在する差に気づき、フランスの混乱を収めるために運命に招かれたという事実を察したのは、ロディの戦いの数日後であった」
"Napoleon at St. Helena" p91

 ナポレオンが自らの運命に気づいたのはロディの戦い直後ではなく、その数日後だったという証言だ。Las Casesの本では基本的に「ロディの後」(Memorial de Sainte-Helene, Tome Premier"http://books.google.com/books?id=L1wRAAAAYAAJ" p209やTome Septieme"http://books.google.com/books?id=u1sRAAAAYAAJ" p71)としか書かれていないが、ベルトランはより詳細な話を聞いているのだ。
 ナポレオンが「まさにこの瞬間から自身の優位性に関する着想が始まった」(p92)としているのはミラノ降伏の使者としてメルツィが彼の下に到着した時である。そしてメルツィとボナパルトの会見が行われたのはロディの戦いから3日後の1796年5月13日(p280の注)。ロディの戦いそのものでなく、その3日後に訪れた一瞬の「天啓」こそが、ナポレオンにとっては重要だったようだ。この話からも、ロディでナポレオンが軍旗を持って部隊の先頭に立ったという話が疑わしいことが想像される。

「アーノット医師が皇帝の右腕にあるあばたについて言及した。
 ナポレオンは『そう、それは私が45年前に、当時始めたばかりだった接種を受けたものだ』と言った」
"Napoleon at St. Helena" p150

 英国のエドワード・ジェンナーが牛痘の接種を始めて行ったとされているのは1796年であり、その結果を論文にして発表したのは1798年。ナポレオンはエジプトにいた。従って彼がアーノット医師に向かって述べた「接種」は牛痘ではなく、天然痘の膿を皮膚に直接植えつけるという人痘法と呼ばれるものだろう。人痘法はかなり古い時期から中国では行われていたそうなのだが、コルシカではナポレオンが生まれる18世紀になって初めて実施されるようになったのかもしれない。

「彼[ナポレオン]が少なくともかなり長い年月(great many years)に渡って、程度の差はあるが耳が遠かったことは、私[ベルトラン]は常に知っていた」
"Napoleon at St. Helena" p207

 だそうだ。ナポレオンは人生の後半、結構長い期間に渡って耳が悪かったらしい。戦場を駆け回りやかましい大砲の音を散々聞かされたせいだろうか。

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コメント

No title

シェヘラザード
そういえば映画「帽子を脱いだナポレオン」でセントヘレナの皇帝(替え玉の方)がシーソーに乗ってる場面がありました。確か、シーソーに乗りながら突然死したのではなかったかな。今でいう「ジョーバ」みたいな感覚だったのでしょうか。でも「ジョーバ」ではダイエットはできないですねぇ……

No title

desaixjp
もしかしたらその映画、ベルトランを参考にしたのかもしれませんね。ちなみにベルトランによればシーソーを設置した時点のナポレオンの体重はかなり重かったそうなので、あまり運動にならなかった可能性もあります。
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