司令官の言葉

 先日記した「伝カンブロンヌの言葉」に続き、今回はウェリントンが言ったとされている言葉を取り上げてみよう。親衛隊の攻撃を受けた時に英近衛旅団に対して出したとされている命令だ。伝えられている言葉は二種類。一つは「起て、近衛兵、狙え」Up Guards, and at them('em)または「起て、近衛兵、構え」Up Guards, (make) readyというもの。もう一つは「今だ、メイトランド、君の出番だ」Now Maitland, now's your timeである。果たしてどちらが正しいのだろうか。
 古くから言われていたのはUp Guards, and at themの方だ。おそらく最初に言い出したのはWalter Scott。彼の書いたPaul's Letters to His Kinsfolk"http://books.google.com/books?id=6nQ1AAAAMAAJ"に「その時、近衛旅団と伴にいたウェリントン公が『起て、近衛兵、狙え』と叫んだ」(p108)と記されている。彼の紹介したこの言葉は物凄く有名になったようで、google bookだけで検索しても(at themとat 'em合計で)1200件を超えるヒットがあるほど。成功したミームと言っていい。
 しかしこの言葉、Walter Scottが自らの耳で聞いたものではない。そもそも彼はワーテルローの戦場にすらいなかった。彼が戦場跡を訪ねたのはワーテルロー会戦から2ヶ月ほど経過した1815年8月だ。またPaul's Lettersにはこの台詞についてどこから引用したのかについて全く記されていない。従ってこれを一次史料と見なすのは無理だろう。あくまで戦場跡にやって来た作家兼詩人が残した文章、という位置づけにとどめるべきだ。
 この台詞を史実と見なすのに問題があるのは、他ならぬ近衛旅団の関係者がそう指摘していることも理由の一つ。たとえばLeaves from the Diary of an Officer of the Guards"http://books.google.com/books?id=oFBEAAAAIAAJ"のp175の脚注には、ウェリントンの台詞とされているものについて「英国に戻ってずっと後に夕食の席である女性が話すまで、私はその話を全く聞いたことがなかった」としている。
 また第1近衛連隊のサルタウンが1838年にSiborneに宛てて書いた手紙でも「あなたが問題にしている最後の点は[ウェリントン]公が『起て、近衛兵、狙え』という言葉を使ったかどうかですが、私は彼だけでなく他の誰であれそう言ったのを聞いたことがありませんし、そういう話があったと誰かが言うのを聞いたこともありません」(Herbert Taylor Siborne "Waterloo Letters" p248)と記している。近衛旅団関係者にとっては聞いたこともない台詞のようだ。
 ワーテルローの戦いに参加した英国軍関係者の中でこの台詞(正確にはUp Guards, make readyの方)を使っているのは、後にワーテルローの戦場跡でガイドを務めたエドワード・コットンである。彼の記したA Voice from Waterloo"http://books.google.com/books?id=e08EAAAAQAAJ"のp113には「そしてウェリントンは『起て、近衛兵、構え』と言葉を発し、メイトランド将軍に攻撃を命じた」とある。ただし、コットンは当時第7ユサール連隊所属。近衛旅団にいた訳ではなく、直接この台詞を耳にしたとは思えない。彼の本にはどこから引用したかも書かれていない。結論。アイヴァンホーを著した売れっ子作家兼詩人(Walter Scott)の書いた話なので有名になっているが、史実と見なすには証拠不足の言葉である。

 ではもう一つの「メイトランド、君の出番だ」の方はどうだろうか。最近のワーテルロー本はこちらが本当だとして紹介することが多い。Chandlerの"Waterloo: The Hundred Days"(p162)やMark Adkinの"The Waterloo Companion"(p397)、Geoffrey Woottenの"Waterloo 1815"(p77)などが代表例だ。Jac Wellerの"Wellington at Waterloo"(p147)やDavid Howarthの"Waterloo: A Near Run Thing"(p123)に至っては「メイトランド云々」と「起て、近衛兵」の両方を言ったかのように記している。
 ところがこの台詞、google bookで調べてみると分かるのだが、20世紀以降の本には多数載っているのだが、古い本には滅多に見当たらない。私が見つけた最も古い本は1866年出版、つまりワーテルローから半世紀も後になって出た本だ。ワーテルローの戦い直後はもとより、それから50年の間、ウェリントンがこういう台詞を言ったという証言が出てこなかったのである。
 密室で交わされた会話なら半世紀後に明らかになることもあるだろう。だが舞台は屋外。しかも命令のために発した言葉であり、メイトランドの耳元で密やかに囁いた訳ではない。本当にウェリントンがこう言ったのであれば、もっと前からこの言葉が紹介されていてもおかしくはない筈だ。何よりこれだけ新しい時期の本にしか記されていないということは、要するに一次史料が存在しない可能性が高いことを示唆している。
 ではこの台詞はどこから出てきたのだろうか。一つ、可能性として考えられるのがサルタウンの発した言葉が間違って引用されている場合だ。近衛旅団のパウエルが1835年にSiborneに出した手紙の中で、仏親衛隊に攻撃を仕掛ける際にサルタウンが「野郎ども、今こそ出番だ」Now's the time, my boys!と言ったことを指摘している(Siborne "Waterloo Letters" p255)。この台詞がどこかで捻じ曲がってウェリントンの言葉になったことは考えられる。
 もちろん、私が知らない文献の中でウェリントンが「そういやあの時はそんなことも言ったっけなあ」と発言しているのかもしれない。ただ、私が探した中ではそういうものは見つからなかった。ウェリントンがこの時の台詞として述べているのは以下のようなものだけである。

「私が言わなければならないことで、実際に話したかもしれない言葉は、起て近衛兵!(Stand up, Guards!)であり、そして指揮官に対し攻撃命令を下した」
The Croker Papers, Vol. III."http://www.archive.org/details/crokerpaperscorr03crokiala" p283

 Up Guards, and at themではなくStand up, Guardsだ。ウェリントンの台詞として最もありそうなのは今のところこれである。ただし、これについては異論もある。たとえば上に紹介したLeaves from the Diary of an Officer of the Guardsは「彼は近衛旅団と一緒ですらなかった」(p175)としている。さらにウェリントンが晩年に以下のように語ったと主張する本もある。

「私がそうした類のことを言えなかったのは明白だ。私は兵から遠く離れすぎていた。砲兵の騒音のため彼らは私の声を聴くことができなかった。私は単に戦列に対して前進するよう命令を出し、そしておそらく副官の誰かが近衛隊に命令を実行するよう叫んだのだろう」
Titan, Vol. XXIX."http://books.google.com/books?id=vHEEAAAAQAAJ" p489

 残念ながらこれまた論拠が示されていないため、本当にウェリントンがこんなことを言ったのかどうかは不明だ。とはいえ、この劇的でない光景は、私の感覚からすると盛り上がりに欠ける点で史実である可能性が高そうに見える。

 以上、これまで調べた範囲でウェリントンの言葉についてまとめると以下のようになる。

・ウェリントンは「起て、近衛兵、狙え(構え)」とは言っていない可能性が高い。
・ウェリントンが「今だ、メイトランド、君の出番だ」と言った論拠も見つからない。
・ウェリントンが近衛旅団の近くにいたかどうかについても関係者の証言は一致していない。
・とりあえず最も可能性がありそうなのは「起て、近衛兵」という言葉である。
・あるいはそもそもそうした言葉を全く発していない可能性すらある。
・伝説まみれなのはナポレオンだけではない。

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