ドイツ騎士団の遺産

 ナポレオン戦争当時、軍という組織を運営する上で基本的な単位となっていたのが連隊だ。軍旗を連隊単位で保有しているのも、連隊レベルでの公式記録が残されているのが多いのも、おそらくそうした実情が背景にある。
 欧州ではそのころから連隊を番号で呼ぶところが多かった。革命期に番号制を導入したフランスの他に英国、プロイセン、オーストリアなどが連隊に番号を付けている。戦乱の時代だったため連隊の中には活躍して名をあげるところもあり、フランスではそうした連隊の中には特別の呼び名をもらって軍旗に記している例もあった。"Le Terrible"第57戦列歩兵連隊や"un contre dix"第84戦列歩兵連隊がその例だ。
 英国でも多くの連隊が単なる数字以外に様々な名で呼ばれていた。ワーテルローにいた第2竜騎兵連隊の"Scots Greys"や第92歩兵連隊の"Gordon Highlanders"などが有名だろう。こちらのサイト"http://www.napoleon-series.org/military/organization/c_nickname.html"にはナポレオン戦争期の英国軍各連隊がどのようなニックネームで呼ばれていたかが詳細に紹介されている。
 英仏両国とは異なる呼び名を持っていたのがオーストリアだ。この国では各連隊に名誉職的な「連隊所有者」"Inhaber"がおり、番号以外に彼らの名を冠して呼ばれることがあったのだ。たとえば第3歩兵連隊のInhaberはカール大公であり、この部隊は時に「カール大公連隊」として歴史書に名前を出すこともある。また、Inhaberは時に交代することもあるため、時期によって呼び名が変化する連隊もある。
 で、ここからが本題なのだが、オーストリアの連隊の中には実は例外的な呼び名をもっているものがあるのだ。それは第4歩兵連隊。Inhaberはアントン大公だが、この部隊は「アントン大公連隊」と呼ばれることはない。この連隊の名は"Deutschmeister"という。
 この連隊の歴史はこちらのサイト"http://www.markt-perchtoldsdorf.at/english/museen.htm"などによると17世紀までさかのぼるという。1696年に対オスマン戦争のためにドイツ騎士団(既に騎士団領は失っていた)がドナウヴェルトで兵を集め、それをハプスブルクの皇帝に提供したのが始まり。その後、サヴォイ公オイゲンの下で活躍したり、ナポレオン戦争期も1809年は主戦場で戦っていた。
 どうやらこの名前だけ残っていたドイツ騎士団の総長にハプスブルク家の一員が就任していたのが、deutschmeiste regimentだけが特別扱いされた理由らしい。なお1814年には名称が"Hoch- und Deutschmeister"に変更され、後にはJurekが"Deutschmeister Regiment Marsch"という曲"http://www.sheetmusicnow.com/Title.asp?tid=111562"を作曲した。
 他にもオーストリア軍の中にはInhaberとは異なる名で呼ばれていたものがある。1801年に作られた第64歩兵連隊がそうで、名称は"Tyroler-Feld-Jaeger-Regiment"。もともとティロル地方で猟兵を動員して作られたものなのでそう呼ばれること自体は不思議ではない。というか、なぜ猟兵大隊ではなく歩兵連隊になってしまったかの方が不思議。
 ちなみにプロイセン軍は1806年の敗北前後で極端に編成が変わったので、一概に論じることは難しい。ナポレオン戦争を通じてある意味もっとも変化した軍隊かもしれない。

スポンサーサイト



コメント

非公開コメント

トラックバック