お前の母ちゃん×××

 以前こちら"http://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/34125242.html"で小伍長に関する話を紹介した。ナポレオン自身があだ名の由来をどう説明しているかが中心だったが、それ以外にナポレオンが政権を取っていた時代にこのあだ名を誰がどのように使っていたかも書いている。1804年に発行された2冊の本では、いずれも批判的な使われ方をしていたことが分かった。
 他に用例はないのだろうか。Google Bookで調べてみるとpetit caporalやlittle corporalといった言葉が使われている例は多数ある。このうち、間違いなくナポレオンが政権を握っていた時期(1800年から1813年)に出版されたもので、ナポレオンに関連して小伍長という言葉を使っているものをピックアップ。内容をチェックしてみた。
 結果を記す前に、いくつか書いておくべき話がある。ひとつはGeorge MogridgeのLearning to act"http://books.google.com/books?id=JDAEAAAAQAAJ"だ。本の中にはlittle corporalへの言及があり、かつGoogle Bookには1799年出版と記されているが、本を見れば分かる通りこの年は出版に携わったThe Religious Tract Societyなる組織が設立された年。使われている活字(特に小文字のs)を見ても1799年に出版されたとは考えにくいためこれは対象から除く。
 同様に1811年発行となっているThe Dublin Magazine"http://books.google.com/books?id=nXkAAAAAYAAJ"も除く。タイトルページに1839年11月号から40年5月号までが収録されていると明記されているのが理由だ。なぜGoogle Bookがこの本を1811年出版にしているのかは不明。

 以上の事例を除き、1800年―1813年出版でpetit caporalあるいはlittle corporalという記述があった本は私の見つけた限りで計8冊あった。ただし、そのうち3冊はProces instruit par la Cour de justice criminelle et speciale du departement de la Seine, Seante a Paris, contre Georges, Pichegru et autres, prevenus de conspiration contre la personne du Premier Consulというやたらと長い題名の本の第1巻"http://books.google.com/books?id=CFo2AAAAMAAJ"、第3巻"http://books.google.com/books?id=z1s2AAAAMAAJ"及び第5巻"http://books.google.com/books?id=M142AAAAMAAJ"であり、内容はダブっている。
 これらの本は1804年発行。内容はナポレオン暗殺を試みたジョルジュ・カドゥーダルらの陰謀に関する捜査報告書のようだ。第5巻には捜査に当たって目撃者らに聞いた話が載っている。そのうち一つ、ルーリエ嬢の証言は以下のようなものだ。

「ルーリエ嬢はルブルジョワ[陰謀家の一人]がある日『我らが第一執政本人に対して一撃を与えるや否や、我らは白い羽飾りをつけてロンドンへ戻るだろう』と述べたと宣言した。また別の日には同じ人物が悪態をつきながら『ちびのボナパルトは生きていいよりも長く生きた。我々がパリに行けば目にもの見せてやる。ヤツには別れを告げるつもりもない』と言った。ある時、彼らは彼[ナポレオン]をちびのボナパルトと呼んだ。またある時にはちびの伍長と呼んだ」
Proces instruit, Tome Cinquieme"http://books.google.com/books?id=M142AAAAMAAJ" p68

 ちびの伍長はナポレオン打倒を目指す王党派の陰謀家の台詞の中にあった。ルブルジョワが敬意や愛情を込めてこの言葉を発したとは思えない。もう一つ、デュジャルダンの証言でも、やはり陰謀家の発言に関連してこのあだ名が登場する。

「彼ら[陰謀家]はルイ18世をフランス国王に復位させることだけを話し、その目的にたどり着くための最も正しい手段と彼らが言っていたのは、ちびの伍長を滅ぼすことだった」
Proces instruit, Tome Cinquieme"http://books.google.com/books?id=M142AAAAMAAJ" p81

 これまた敵意を込めた言葉として紹介されている。ナポレオンの兵士たちでなく、ナポレオンを殺そうと考えている連中が口にしていたのが「ちびの伍長」だった。
 彼ら陰謀家と同じく王党派に属するジャーナリストも、やはりこの言葉を使っている。ジャン=ガブリエル・ペルティエ"http://fr.wikipedia.org/wiki/Jean_Gabriel_Peltier"は8月10日事件を機に英国へ亡命し、共和国とナポレオンに対して反対する雑誌l'Ambigu(曖昧な、という意味らしい)を発行した筋金入りの反ボナパルティストだ。そのl'Ambiguという雑誌には、少なくとも2回、ちびの伍長という言葉が登場している。
 一つは1803年に出版されたThe Trial of John Peltier"http://books.google.com/books?id=u-4yAAAAIAAJ"に紹介されている。そこでは陰謀家たちの言葉として「曰く、今や足かせを火に投じる時だ――曰く、ちびの伍長は殺され、体制は変更されなければならない――曰く、短刀とピストル、ラッパ銃をアレル、ドマーヴィユ、そしてセラッキ[陰謀家たち]に配れ――曰く、怒れる者たちは混乱の日が近づいてきたと豪語していた――そのうちの一人は言った。我々はこの政府が転覆するまで休むことはなく、そのためにはあらゆる手段を取る、などなど」(p241-242)というものを紹介している。
 もう一つは1813年発行のL'ambigu, Vol. XL."http://books.google.com/books?id=1isDAAAAYAAJ"。ベルティエについて触れた部分で「ブオナパルテがその成功の大半をこの疲れ知らずの士官[ベルティエ]の才能と奉仕に負っていたことを踏まえておくべき理由がある。彼[ベルティエ]は幕僚部のあらゆる細部に深く注意し、実務にあっては冷静かつ几帳面で、何事も計算したうえで実行し、正確で動揺しない冷静さで、ちびの伍長がその暴挙と性急な行動からいつも引き起こしていたあらゆる大失敗を正す役割を絶えず背負っていた」(p361)と記している。
 二つともナポレオンと政治的に対立している人間がその立場から記した文章であることは間違いない。当然、その使われ方は極めて批判的であり、カドゥーダル事件に参加していた陰謀家たちの使い方と同じ。少なくともこれだけ読めば、兵士が将軍の活躍を讃えてつけたあだ名とは思えない。
 まだある。William Vincent Barreが1804年に出したHistory of the French Consulate, Under Napoleon Buonaparte"http://books.google.com/books?id=m_cOAAAAYAAJ"では、フランス軍人で軍内に大勢の友人を持つ人物について以下のような話を載せている。

「彼はその国のあらゆる階層の人々と接点を持って知り合いになっており、しばしば様々な方角へ数百マイルの旅行を行い、いつも公的または富裕な家にばかり泊まる訳ではなかった。そして、既に述べた例外を除き、彼はしばしばブオナパルテがプティ・コルス、プティ・カポラル、プティ・グルダン、プティ・ジャン・×××などと言い表されているのを聞いた。
 フランス語に精通していない人のために、忠実な臣民がブオナパルテに授けた名誉ある称号を翻訳すれば、以下のようになる。ちびのコルシカ人、ちびの伍長、ちびのごろつき、ちびの悪党などなど」
History of the French Consulate, Under Napoleon Buonaparte"http://books.google.com/books?id=m_cOAAAAYAAJ" p296

 明らかに悪口雑言の一種として「ちびの伍長」が使われているのが分かるだろう。中には軍内で使われている「ちびの伍長」にも悪意の込もったものがあったと指摘する例もある。1804年に出版された本に書かれている以下の話がそうだ。

「フランスの立法府においてすら多くのメンバーが現在のフランス政府に不満を抱き、軍の何人かの士官はブオナパルテを『ちびの伍長』と呼ぶことに何の良心の咎めも感じていない事実も知らされた」
The Literary journal"http://books.google.com/books?id=d1YFAAAAQAAJ" p413

 ちびの伍長という言葉は「良心の咎め」に関わるようなものだというのだ。そりゃそうだろう。軍の階級は将軍、政治的には事実上の独裁者に対して、兵士より一つ上の階級で呼ぶのが褒め言葉だとは思えない。
 結局、探し出した中で悪意があると言い切れない事例は一つしか見つからなかった。パリにいた人物が1801年に出した手紙の中で以下のように触れている。

「あなたの質問に答えるうえで、まず私はちびの伍長が第一執政としての服装を身につけているのを見たことがない点をあなたに伝えるところから始めましょう。彼は多くの時間を、彼の邸宅であるマルメゾンで過ごしていると言われています。フランス劇場かオペラのボックスシートにいるときを除いて滅多に公に姿を現しません」
Paris as it was and as it Is"http://books.google.com/books?id=c3UDAAAAYAAJ" p70

 悪意はないが親しみが込もっているかどうかまでは分からない使いかたである。中立的な使用事例ということになるだろう。

 以上、今回見つけたpetit caporalまたはlittle corporalの使用例は7つ。前回の2つを合わせると9つになる。そしてそのうち実に8つまでは批判的な使い方がなされていた。要するにナポレオンに対する悪口として「ちびの伍長」を使う事例が圧倒的に多かったのである。
 ナポレオンが権力の座にあったときには、たとえ親しみを込めた使い方であっても公の出版物に「ちびの伍長」という言葉を載せるのは憚られた可能性はある。従って、ちびの伍長が悪口でのみ使われたと断言するのは無理だろう。だが一方で悪口としての使用例があったことも間違いない。ナポレオンの伝記などではほとんど無視されているが、「ちびの伍長」はナポレオンを貶すためにも使われていたのだ。

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