ネイ元帥のサイトに紹介されている「戦場を駆けた犬」"http://www.geocities.jp/rougeaud1769/dog.htm"の中に、モロー将軍の犬が紹介されている。そこではマルボとパーキンの二人が残した記録が紹介されているが、実は調べてみると他にも色々な史料が見つかった。Google Bookなどからいくつか紹介してみよう。
まず一つは軍医のラレイが残した記録の英訳本。1861年に出版されており、そこには以下のような話が載っている。
「ドレスデンの戦いの翌日、ナポレオンの同盟者であるザクセン王の下にグレイハウンドが連れてこられた。犬は哀れっぽく鳴いていた。首輪には『モロー将軍の犬』との文字が刻まれていた。犬の飼い主はどこにいたのか? アレクサンドル皇帝の傍だった。モローは致命傷を負った。犬は彼が死ぬまで飼い主とともにとどまった。モローがアレクサンドル皇帝と話している時、砲弾が彼の両脚をほとんど運び去った。とどまった5日間、彼は一言も痛みを口にしなかったと言われている」
Memoir of Baron Larrey"http://books.google.co.jp/books?id=bHwIAAAAIAAJ" p191
マルボは犬を捕まえたのは軽騎兵だとしており、パーキンはザクセンの農民だとしている。ラレイはそのあたりははっきりと記していないが、犬が連れてこられたのがザクセン王のところであったと指摘している点からするとザクセンの農民説の方が近いかもしれない。
次はミュラの副官を務めていたことがあるマセローニの証言だ。
「この夜、アレクサンドル皇帝の傍で第一級の地位にある将軍が致命傷を負ったというニュースがフランスの幕僚たちに届いた。当初それはシュヴァルツェンベルク公だと考えられ、その結果ナポレオンとミュラは個人的な哀悼の意を表に出したと言われている。しかし何人かのミュラの騎兵によって、負傷した将軍についていっていた犬が切られて捕まえられ、その首輪に『モロー将軍の犬』との文字が見つかった。犬はすぐミュラによって参謀長ベルティエ元帥に送られ、彼は敵の戦列にかつての戦友がおり、その人生にふさわしい運命に遭遇したことを知った」
Memoirs of the Life and Adventures of Colonel Maceroni, Vol. II."http://books.google.co.jp/books?id=jwM2AAAAMAAJ" p91
彼の証言はマルボと共通している。彼がミュラの副官を務めていたという点も、この証言に一定の信頼度をもたらすものかもしれない。残念なのは英訳本の出版年は分かるが原著がいつ出たのか不明なことだ。ドレスデンの戦いから時間が経過しすぎていたとしたら、信頼度はそれだけ低下する。
次に紹介するのはオーデレーベンが記した1813年戦役に関する本だ。1820年に出た英訳本では、モローの死に触れた後に以下のように述べている。
「モローの名が記された首輪をつけた犬を連れてきた農民は、いくらかの金をもらった」
A Circumstantial Narrative of the Campaign in Saxony, in the Year 1813"http://books.google.co.jp/books?id=pWlBAAAAIAAJ" p287
この本は元はドイツ語で1816年に出版。フランス語版も1817年に出ている"http://books.google.co.jp/books?id=xfIojACEaz4C"。オーデレーベンはザクセン騎兵の士官であり、当時ザクセン軍はナポレオンと同盟を結んでいたから、彼も当事者であった可能性がある。こちらはパーキンの証言に近い。
マルボとパーキンの中間的な証言が、コンスタンの回想録"http://www.napoleonic-literature.com/Book_12/V4C9.htm"に見られる。コンスタンによれば、ザクセン王からの使いがベルティエを訪れ、ノトリッツで捕らえた犬の首輪を手渡したとなっている。マルボが犬を捕らえたとしているノトニッツと似た地名である一方、ザクセン王経由で首輪が渡された点はフランス騎兵でなくザクセンの農民が犬を捕まえた可能性を示唆している。
とまあ調べてみるとこの程度のことでも色々な説が飛び交っているあたりが面白いのだが、もっとも奇妙のはナポレオン自身の証言だろう。O'Mearaの本によると、彼は犬については一切触れず、代わりにもっと変なものについて言及している。
「砲弾の一つがモローに命中し、彼の両足を持ち去り、乗馬を貫いた。彼の近くにいた多くの者も戦死したか負傷しただろう。その少し前に、アレクサンドル[皇帝]が彼と話していた。モローの脚はそこから遠くない場所で切断された。ブーツを履いたままだった脚の一つは外科医が地面に放り出し、それをある農民が、著名な士官の一人が砲弾に当たった証拠だとして、ザクセン王に持ってきた。ブーツを調べるとその士官の名が分かると考えた国王はそれを私に送って寄越した。私は司令部で調べてみたが、解明できたのはそれがイギリス製でもフランス製でもないことだけだった。翌日、我々はそれがモローの脚であることを知らされた」
Napoleon in Exile, Vol. I."http://books.google.co.jp/books?id=JKUNAAAAIAAJ" p274-275
うーん、やっぱりナポレオンって面白い話をするよなあ。
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2008/01/30 URL 編集
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