アンストラザーの報告 9

 皇弟殿下オーストリアのカール大公の司令部
 ヘルボルツハイム、1796年10月17日
 閣下、
 13日の報告で私は閣下に謹んで今月9日までのラ=トゥール、ナウエンドルフ、及びペトラッシュ将軍麾下の軍団の移動の記録をお伝えしました。10日、ラ=トゥール将軍はシュトックアッハとエンゲンへ敵を追跡しました。しかしヴァル=ダンフェルを通る彼らの退却ををもはや妨げられないことに気づき、彼は追撃をやめました。そして殿下と合流するため右翼側のキンツィヒ峡谷の方へ行軍しました。大公は主力とともにホルンベルクへ到着しました。15日、ナウエンドルフとペトラッシュ将軍はほぼ同じ場所に彼よりも先行しました。前者は14日にエルツァッハに、後者はキンツィンに布陣しました。15日にはコンデ公とフレーリヒ将軍の軍団のみがシュヴァルツヴァルトの隘路を通って敵を追撃していました。
 その間モロー将軍は、間を置かずに今月9、10日に彼の前衛部隊が得た優位を活用しました。彼は全軍とともにヴァル=ダンフェルを通過し、13日にフリブールに到着しました。翌日彼はヴァルトキルヒを占拠し、彼の哨戒線はエルツ右岸の高地に沿って延びていました。
 この敵による脅かすような動きと、ケールに対して即時に攻撃を試みることの極度な困難から、殿下はその企図の実行を遅らせる決断をしました。その地を見張るのに十分な軍団を残し、彼は16日にマルボルゲンへ行軍し、即座にラ=トゥールの軍の指揮を執りました。
 敬具
(サイン)ロバート・アンストラザー
 第3近衛連隊大尉
A Collection of State Papers Relative to the War Against France "http://books.google.com/books?id=OZ4BAAAAMAAJ" p119-120

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