マインツ攻囲

 Arthur Chuquetの"The Wars of the Revolution"第7巻、"The Siege of Mainz and the French Occupation of the Rhineland 1792-1793"読了。もちろんその前にグレアムの回想録全5巻は読了したのだが、そちらに関してはいずれまた気が向いたら記すとして、とりあえずはマインツ攻囲だ。
 正直、マインツ攻囲に関してこれだけ詳しく書かれた本は今まで読んだことがない。Gallicaにはフランス革命戦争に関連してマインツ攻囲を記したものもいくつかあるが、一冊の半分強をマインツ攻囲に当てたような本はほとんど存在しないだろう。ワーテルローやナポレオンのロシア遠征など有名な歴史的事実についてはいくつも本が出ているが、マインツ攻囲くらいマイナーだとそうはいかない。
 実際、この時代について多少詳しい人間でもマインツ攻囲といってすぐ分かる人間はあまりいないだろう。要塞攻撃であればナポレオンのイタリア遠征と関連するマントヴァ包囲や、スペインでも激しい攻囲戦が行われたサラゴサ、炎の英雄シャープでも取り上げられた英軍によるバダホス攻囲なんかの方がはるかに有名ではなかろうか。シャープは日本語版DVDも発売されているし。
 マインツ攻囲がマイナーなのは知名度の高い人間がいなかったのが理由だろう。結局のところこの時代の歴史は英雄史観的に語られることが圧倒的に多い。ナポレオンやウェリントンがいれば、それだけでその要塞攻撃は紹介されるに足るものとなってしまう。マインツ攻囲に参加したフランス軍側のメルランやドイレ、連合軍側のフリードリヒ=ヴィルヘルム2世、カルクロイトなどは、聞いても誰だか分からない人が大半だろう。
 攻囲戦の内容でも、他の舞台に比べれば見劣りする。期間はマントヴァなどに比べて短いし、血腥さではサラゴサの方が圧倒的だろう。そもそもマインツでは要塞の城壁に突破口が開かれるより前に守備隊が交渉によって要塞を明け渡してしまっている。せいぜいヴァンデ内乱に興味を持つ人が共和国の「マインツ部隊」という名を聞いたことがある程度ではなかろうか。
 そう、マインツ攻囲はヴァンデとの関連で話題にのぼるのが関の山なのだ。最近はフランス革命の見直し論が盛んだし、その中でしばしば革命の問題点として指摘されるのが反対者に対する圧政だ。おかげでヴァンデはそこそこ知られるようになり、googleで「ヴァンデ戦争」を検索すると207件引っかかるようになった。一方の「マインツ包囲」はたった8件だ。
 ことほどさようにマイナーなマインツ攻囲だが、細かく見ていけば面白いところは色々とある。まず包囲された中に国民公会議員のメルラン=ド=ティオンヴィルとルーベルが含まれていたこと。彼らは戦闘に色々と口を出した一方、マインツ明け渡しを主導しそれに伴うマインツ部隊への非難から部隊の指揮官たちを擁護するなど、マインツ攻囲全体に大きな影響を及ぼしている。このころから派遣議員の影響力が増し始めた。
 フランス軍側軍人としてはドイレ、オーベール=デュバイエ、ムニエルといった主な指揮官たちに加えて、クレベール、アンベール、パジョル、サント=シュザンヌなど後に将軍まで成り上がった者たちも含まれている(ただしナポレオンの元帥はいない)。極めて積極的だが慎重さに欠けるムニエル、連合軍陣地襲撃に活躍したマリニーなど、Chuquetは個別の軍人たちを巡る様々な挿話も紹介している。
 連合軍側で目立つのは後にザールフェルトで戦死するルイ=フェルディナント。王族としては信じられないほどの活躍ぶりであり、マインツ攻囲だけを取り上げるなら英雄として祭り上げられるのも十分に納得がいく。だが、一般に彼について知られているのはザールフェルトで死んだという事実だけ。ナポレオンとの接点がそれしかないからという意味ではオーストリアのマック将軍と同じ扱いだ。
 Chuquetの本は無名の人々に関する記述も多く、これまた面白い。砲撃が激しくなるにつれて住民がそれに慣れてしまい、飛んできた砲弾を拾って建物から遠くへ捨てる人が増えたとか、攻囲用の塹壕を掘らされていた周辺住民の妻たちは弁当を運ぶ際に面倒なので堂々と姿をさらしながら移動していたが要塞からの大砲でやられた者はほとんどいなかったとか、そんな話がいくつもある。
 Chuquetが本の半分近くを費やして詳細に記しているのがマインツを中心としたラインラント地方のジャコバン派の動向。彼らはフランスに積極的に協力したが、住民たちからは極めて浮いた存在だったことも率直に語られている。フランス軍がマインツから引き上げる際に彼らの中には住民からリンチを受けた者も出たようだ。
 マインツ住民にとっては政治よりも経済的な安定の方が重要だった。マインツ司教はライン対岸に多くの所領を持っており、そこからの収入でマインツの経済は潤っていた。生活に不満のない住民は革命に身を投じることを望まなかったのだ。フランス軍の傍若無人な行為も反感の源で、キュスティーヌは愛人を作り、兵士も「革命があってもフランス人はフランス人」と言われるほどナンパに精を出していた。
 結局マインツを明け渡したフランス軍は、上にも述べた通りヴァンデへ向かう。Vae VictisのPour Dieu et pour le Roy"http://www.vaevictis.com/asp/encartsr.asp?num=60"というゲームに、デュバイエやクレベールなどマインツ部隊の指揮官たちが大勢登場するのもそれが理由。ただ、軍トップのドイレがプロイセン軍に足止めを食らい1794年まで帰国できなかったのは知らなかった。

 翻訳者のWilliam Petersonはこちらのサイト"http://www.armymedicine.army.mil/news/mercury/05-12/psychiatrist.cfm"によると米軍の軍医らしい。Chuquetのかなり凝った文章を読みやすい英語に翻訳してもらっているのだからありがたいというべきだろう。
 それにしても翻訳が予定されている全15巻の内容はどんなものなのか。第7巻の時点で1793年半ばまでしか進んでいないのだから、下手したらフルーリュスにすらたどり着かないほどだと考えておくのが安全だろう。革命戦争初期については詳細な記述が得られる。しかし、後半について期待するのは難しそうだ。個人的にはそこに不満が残る。

スポンサーサイト



コメント

非公開コメント

トラックバック