ロシア歴史学の歴史

 政治的にはプーチン独裁傾向が強まっていると報道されているロシアだが、歴史研究の分野ではソ連崩壊前よりははるかに自由化が進んでいるようだ。ナポレオン戦争についても事情は同じで、そうした最近の傾向も踏まえて2007年に出版されたのがAlexander Mikaberidzeの"The Battle of Borodino"である。
 Mikaberidzeによれば、ソヴィエト政権下においてボロディノの戦いは「しばしば過度に愛国的な調子で議論され、イデオロギー的な目的のため不当に利用された。多くのソヴィエト時代の研究は事件の解釈において偏りがあり、そのうちいくつかに至っては事実の意図的な誇張や歪曲さえ含んでいた」(xi)。レニングラード大学での議論の中には「同志スターリンによるとクトゥーゾフはバルクライ=ド=トリーより頭2つ分高かったはずだが、お前の論文には頭1つ分しか高くなかったと書いてある」という批判すらあったのだとか。
 冷笑するしかないような話だが、歴史研究がナショナリズムによる歪曲を受けてきたのは別にソ連だけの話ではない。人生の役に立つことなどほとんどあり得ない歴史学を世界各地で子供たちに教えていること自体、政治的なバイアスを受けていない歴史が存在しない証左だと考えることもできる。もちろん私は客観性を重視した歴史実証主義が成立し得ると思っているが、そんなものを学んで面白がるのは一部のオタクだけ。大半の人間にとって歴史は「政治的物語」とほぼ同義語なのだろう。だから人生の役には立たないくせに歴史論争はしばしば無用にヒートアップする。
 興奮状態に陥ることなく議論ができるようになるには時間が必要だ。ナポレオン戦争のように200年も前の話になれば多くの人間が頭を冷やして会話することが可能になる。ロシアではソヴィエト政権によってその流れが一時的に妨げられていたが、最近は醒めた視線で史実を見る人が増えてきた。それに伴って最も評価が下がったのは、おそらくロシア側の司令官クトゥーゾフだろう。
 Mikaberidzeの本に紹介されているクトゥーゾフは、戦闘に備えた布陣の段階でミスを犯し、周囲の人間の発言で簡単に方針を左右され、一部のお気に入り士官たちにいいように使われ、戦闘中には無為に司令部で時間を潰していた人物である。その行為は「決して申し分のないものとは言えない」(p225)ものだったという。
 その一例が、トゥチコフ第3軍団の布陣に関する指摘だ。これについてはトルストイの戦争と平和にも載っている"http://ebooks.adelaide.edu.au/t/tolstoy/leo/t65w/chapter213.html"ので知っている人も案外多いかもしれない。クトゥーゾフはトゥチコフ軍団をウチッツァ付近に配置する際に、待ち伏せを仕掛けるため敵から見えない場所に配置された。ところがそこにたまたまやってきた参謀長のベンニヒゼンが丘の背後にいた同軍団を見て、なぜ重要な地形をがら空きにしておくのかと批判して彼らを丘の上に移動させた。このため待ち伏せはできなくなり、後にクトゥーゾフはベンニヒゼンを叱りつけた、という話だ。
 実はMikaberidzeはこちら"http://www.napoleon-series.org/research/biographies/bagration/c_bagration12.html"の方でトルストイが書いたのとほぼ同じ話を紹介している。クトゥーゾフがナポレオンの側面及び背後を攻撃できるようにトゥチコフ軍団を配備したのに、ベンニヒゼンが彼らをフランス軍の真正面に置いてしまった。少し前までMikaberidzeもこの話を受け入れていたことが分かる。
 だが、"The Battle of Borodino"の中でMikaberidzeは全く異なる話を紹介している。確かに軍の公式報道ではクトゥーゾフがトゥチコフ軍団を待ち伏せ用に配置しフランス軍の側面と背後を攻撃させる計画だったと記している。しかしながらクトゥーゾフが皇帝アレクサンドルに出した手紙では、トゥチコフの役割は待ち伏せではなく防衛的なものにとどまっているという。そしてこの配置を全く知らされていなかったベンニヒゼンは、トゥチコフとバグラチオンの軍との間に大きな隙間があることを知ってトゥチコフに部隊を移動するよう命じたのだそうだ。
 どうやら問題は自ら地形を確認することなく、お気に入りの部下に偵察と布陣を任せきってしまったクトゥーゾフの怠惰さにあるようだ。布陣を任せられたトール大佐は夜のためあたりがよく見えないまま部隊を配置したが、この時トゥチコフ軍団はフランス軍がやってくるはずの西方ではなく北方を向いていたという。ベンニヒゼンはこの過ちに気づき、彼らをきちんと西に向けて接近してくる大陸軍第5軍団に対処できるようにした。
 待ち伏せ云々という話をでっち上げたのは、ボロディノ戦後に自らの失敗を糊塗しようとしたトールらである、という意見もあるそうだ。それでもクトゥーゾフの策を外国人のベンニヒゼンが台無しにしたという話はロシア人にとって受け入れやすかったのだろう。疑問を呈する向きもあったが多くの歴史家がそれを受け入れた。そしてソ連時代にはそれが公式見解となってしまい、誰も文句をつけなくなっていったのだという。
 以上の話がどこまで信頼できるかを調べる力は私にはないし、そもそも私はロシア語など読めない。それでも、従来の通説とは異なる見解があることを知ったのは収穫だ。この本には他にも面白い話が色々と載っているので、機会があったら紹介したい。

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